2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

早くも忘れられようとしている話題だろうか。サッカーワールドカップ、日本代表の戦いでは、日本サッカーを日常的に覆っている自己保護的な幻想が、現実の力によって突き崩される有り様が見えた。人事ではない。僕自身も「もう少し高いレベルで戦える」と思…

東京都現代美術館でカルティエ財団コレクション展を見てきた。注目すべきはアルタヴァスト・ペレシャンの映画「我らの世紀」(1982)だ。これを見るだけでも木場まで足を運ぶ意味があると思う。全編モノクロの作品で、ペレシャン自身が撮影した映像はなく、…

サッカーワールドカップ、日本対クロアチアは0-0で引き分けに終わった。負けに等しい引き分けとか、ほとんど勝っていたけれど引き分けとかいう言い方が氾濫しているが、そういう表現にあまり意味はない。単に0-0の引き分けで勝ち点1をとったという事実だけを…

うらわ美術館で「培広庵コレクション 近代の美人画」展を見に行った。事前に読んだ土屋誠一氏の「試評」での伊東深水を取り上げたtxt(参考:http://pg-web.net/off_the_gallery/tsuchiya/main.html)の影響もあった。このエントリにも、土屋氏の文章の反響…

ブリヂストン美術館所蔵、セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」について。1904-06年頃に製作されたとされている。キャンバスに油彩で描かれている。縦66.2cm×横82.1cmの大きさがある。 画面向かって左の辺の上部わずかを残して、濃いビ…

サッカーワールドカップ、日本×オーストラリアの結果には「リアルだなぁ」という感慨が浮かぶ。日本代表チームが積み上げて来た4年間そのままが表れていたように思う。日本代表は個々の局面でボールへの寄せが遅く、結果的に多くのセカンドボールを奪われて…

サッカーワールドカップの試合を、地上波放送分だけは大体見ている。今の所、見ていて本当に興奮するような試合は見つけられない。ワールドカップにおいてはまず1次リーグを勝ち残り、決勝リーグで強豪国と1発勝負をしなければならないから、実力のあるチー…

「めぞん一刻」を久しぶりに読み返した。高橋留美子によって1980年から1987年にかけビックコミックスピリッツに連載されたマンガで、安アパートの住人の一人である学生と、そこに管理人としてやってきた未亡人との恋愛が主軸の話しだ。今でも文庫サイズで復…

新東京都庁舎と黒い「影」について。NHKの丹下健三の特集番組中で、見えたもの、抜けたもの、映ってしまったものを考えた。6/4の「新日曜美術館」での話しだ。 簡単に番組の概要を書くと、代々木体育館を簡単に紹介した後丹下の青年時代からはじまり、大東亜…

東京都美術館で開催中の「プラド美術館展」で見ることのできたスルバラン「ボデゴン」について。この作品は1992年に国立西洋美術館「スペイン・リアリズムの美展」で展示されていて、僕は再見となる。1658-1664年頃に描かれたとされている。縦46cm×横84cmの…

国立西洋美術館「ロダンとカリエール展」で見ることができたロダンの彫刻「目覚め」について。1887年頃の制作とされている。高さ52.7cmのブロンズ製とカタログにある。跪いた裸婦像で、側面が荒く上面は比較的平滑な台座にすねを接し、大腿部を浮かせて上へ…

某画家の「盗作」とかが、お昼のニュースでまで取り上げられていてびっくりした。アレは盗作などというセンセーショナルなものですらない、戦略も悪意も欠けたルーズな事件で、当然参照元の画家の権利は守られるべきだろうが、どうでもいい話ではないだろう…

“全能感”と“白痴的”について考えていた自分へのメモ。 白痴的なものは、なぜ今こんなにも強力なのだろう。テレビでもいい、書籍でもいい、webでもいい。一見、バカバカしく相手にする気にもならない個々の「白痴」は、総体として見れば圧倒的な力を誇ってい…