2007-01-01から1年間の記事一覧

金刀比羅宮の書院で見た応挙と若冲がとても良かった。私は以前、これらの作品の一部が展示された美術展を見て、岸岱を一番に上げ、応挙を次に評価し、若冲を「傑作ではない」と書いた(id:eyck:20070816)が、今回はまったく違う判断をした。金刀比羅宮書院…

鈴木了二氏の金刀比羅宮プロジェクトが、一切のクラフト、つまり様々な“出来事”を抹消してビジュアルだけを滑らかに仕上げるという映像的建築とまったく対極のものであることは、長い金刀比羅宮の階段を上りつめたものには説明の必要がないだろう。そこある…

高橋由一の油絵は「気持ちが悪い」。その気持ちの悪さは、主に高橋の油絵の具の質にある。多くの作品で高橋の油絵の具は生っぽいのだ。これは、よく絵の世界でいう「絵の具が生」というのとはちょっと違う。高橋の絵の具は、イメージになる直前で踏み止まっ…

自分の感情や感覚が、別段内面の深みとかとはまったく関係なく、システムによって構成されていると認識してみると、なんか可笑しい。それこそ一種の救いになる。先のエントリで、例えば後半の自分と父や長男に対する気持ちが、要するに先行モデル-現行モデル…

気持ちを整理するのが難しい。ここ2-3週間、私が立続けに見たのは「現実」で、それが生と死という対称として現れた。けど、この対称性は境界線がとてもあやふやだった(といことはそれは対称ではなかったのか)。「現実」は、もちろん、ただちに多数の、洗練…

12/6、義兄、急性白血病にて逝去。43歳。 信じられない。

大原美術館の近くには丹下健三の旧倉敷市庁舎(現倉敷市立美術館/1960年築)があって、これがけっこう興味深かった。少なくとも新東京都庁舎よりはずっと面白い建物ではないか。改装に地元の浦辺鎮太郎の手が入っているのだけど、その骨格は保たれていると思…

大原美術館で気になった、というかやっぱりそうなんじゃないかと思ったのは宇佐美圭司氏と荒川修作氏の関係の深さだ。こんなことは知ってる人にとっては何を今さら、というような事かもしれないし、また別に二人だけの問題ではなく1960年代という時代による…

関西を回っていた時は岡倉天心の「日本美術史」を読んでいたのだった。平凡社ライブラリーから廉価で出ていて、図版がないのが苦しいものの携帯性能は高い。とにかく岡倉は足を使って日本中(というか世界中)回っている。旅行の間ずっと、どこかで「これは…

昨日午後5時39分、長男誕生。名前はまだ無い。

荒川修作+マドリン・ギンズはマテリアルを無視・軽視する。にもかかわらずインストラクションをマテリアルに落とし込む。この亀裂が荒川修作+マドリン・ギンズの作品には共通して現れる。「奈義の龍安寺」では円筒形の内部に京都・龍安寺のコピーが円筒の…

荒川修作+マドリンギンズのここ10年程の作品(僕は荒川修作+マドリンギンズを芸術家としての可能性において見てみたいのであえて「作品」というけど)は、60年代コンセプチュアル・アートの突然変異体であることは改めて確認しておきたい。彼等はけして単…

フィレンツェを歩いていて驚くのは、あまりに狭い地域にとんでもない傑作が集積していることだ。しかもそれらは1400年代から1600年はじめくらいのほぼ200年弱の短い期間に連続して生み出されている。異常な時代、異常な場所、と言えるのだけど、まったく反転…

京都で狩野永徳展を見た。とても良かった。僕は以前、永徳を「見事だけどどこかイラストレーションの匂いがある」と書いたことがあるが(参考:id:eyck:20070908)、この見方はひっくりかえった。相変わらず個人的には長谷川等伯は好きだし狩野松栄も言われ…

奈良では雨の興福寺などを訪れた。僕は原則的に仏像に興味が薄い。もし関心を持つとすればそれは彫刻としての側面だが、仏像というのは彫刻ではない。人形(ヒトガタ)をしているから彫刻「的」に見ることは可能なのだが、その人形は、「人体」を刻もうとし…

宇治の平等院鳳凰堂は、やはりというかなんというか、「美」でしかないものだと思う。「真」あるいは「善」というものが存在しない。これが法隆寺と同じ「寺院」にカテゴライズされる事がぼくには了解できないのだが、しかし、では建築としてどのようにジャ…

古代から中世にかけての寺院というのは、いわば当時の人々=各端末に宗教というOSをインストールするためのハードウエア/ソフトウエアみたいなものだったのだろう。法隆寺は、古代の土俗的なOSしかもちあわせていなかった日本人に、仏教という巨大かつ精密な…

ときどき自分が作品経験を絶対化するような立場に立っているかのように感じることがある(自意識過剰なのだろうか)。美術に対して何かを言うとき、対象を実際に見た事が/作った事がなければ語ってはいけないわけではもちろんない。そんな「縛り」があった…

京都・岡山・四国行きが迫って来た。秋口の京都の宿を取るというハードルをこなしたらすっかり気が弛んでしまい、ちっとも準備を進めないでいたらこんな直前になってしまった。以前ここで書いたのと予定が少しずれ、京都に先に行って岡山・琴平と回るルート…

引き続き四谷アートステュディウム「エクスペリメントショー」について。 ●菊池正+鶴崎いづみ+外島貴幸の、それぞれが異なったルールに基づいて文章を読み、相互の影響関係を計測/構築していく(みたいなことがパンフに書いてある)作品は、ルールが提示され…

10/7の日曜日には四谷アートステュディウムの「エクスペリメントショー」を見に行っていた。予定では出だしの北川裕二氏のパフォーマンス?を見た後抜け出して、平倉圭氏のプログラムが始まる頃に戻ってこようと思っていたのだが、なんだかずるずる見続けて…

コバヤシ画廊で野沢二郎展。キャンバスに油彩で描かれた絵画が3点展示されている。会場正面には最も大きな幅4メートルもの作品があり、正面向って左手には160cm四方程度のスクエアの作品が、右手には2m程の高さのある縦長の作品が配置されている。いずれも濃…

以前テレビのバラエティ番組(「ぷっすま」だ)で、出されたお題、例えば「キティちゃん」とか「ドラえもん」とか「ライオン」とか「象」とかを、タレント達が思い出しながら絵に描いてみる、というのがあった。そういった誰もが簡単にイメージを思い浮かべ…

オペラシティ・アートギャラリーで「メルティング・ポイント」展。どういったらいいのだろう。出品作はどれも適度な完成度をもち、同時に適度にラフで、個別に相応の問題意識は提示していて、難解なこともなければ、バカ丸出しなほど無警戒でもない。展覧会…

先行する古典的な美術を見る時に、現在の人間である僕が基盤としうるものとはなんだろうか。それは、けして美術史的な知識や時代背景に対する理解などではなくて、もっと単純に、引かれた線の冴えとか、顔料の滲みに含まれた逡巡の面白さとか、組み上げられ…

殻々工房で中津由紀「fragmental」展の最終日を見てきた。パラフィン(ろう)によるレリーフ的作品だ。構造は原則的に一貫していて、小さくやや厚みがあり中央が凹んでる円、あるいは方形のパーツが細胞状に連結し、個々のフォルムを形成している。いずれも…

茅場町のGallery≠Galleryで多田由美子展「intimate」を見た。大小様々なキャンバスにメディウムが添加され、光沢と透明度が増された絵の具(恐らくアクリルだと思うが確認していない)と、パステルか色鉛筆と思える(これも未確認)細い線が重ねられている。…

DVDで「父親達の星条旗」を見た。以前も書いたが、やはりイーストウッドは本編が終わった後のスタッフロールの時間を生かせる人なのだと思う。どこかヒッチコックの「鳥」のラストシーンみたいな光りを放つ、奇妙に不安で少しだけ甘い海の俯瞰ショットで映画…

なぜモダニズムは批判され、終わったと宣言されつづけているのかと言えば、物凄く乱暴に言えばそれがアウシュビッツとヒロシマを産んだからだと思う。このことを押さえておかないと、モダニズムの再検討をしているというつもりで、いつしかモダニズムの持つ…

金刀比羅宮の特別公開の他に、実は秋の西日本ではもう一つ重要な展覧会が予定されている。京都国立博物館の「狩野永徳展」だ。 http://eitoku.exh.jp/ 金刀比羅宮と奈義町現代美術館を見る事を軸に、あとは大原美術館とか岡山市街地になぜか密集している前川…