2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

美術のさいたま/政策のさいたま

経済の状況に対する、政治、あるいは金融の政策が面白い。いや、面白い、と言っていいのかわからないのだけど、ここには何か深い「さいたま」性がある。ちなみに、私がここで言っている「さいたま」性というのは、地理的ローカリティにとどまらない。ある種…

先週コバヤシ画廊で野沢二郎展を見てからもう1週間たってしまった。会期は既に終わっている。ここ数年の、同じ会場で毎年展示されてきた野沢氏の作品と、今回の展示は明らかに異なる点がある。その一つがサイズだ。例えば昨年の展示では4メートル超の作品が…

「Art of our time」展は、他にも意外な作品に出会えた、というか高松宮殿下記念世界文化賞、というものを全然知らなかったことに気づいた。ブリジット・ライリーとか、アンソニー・カロなんかが受賞していて(つまり作品が展示されていて)、妙に感心してし…

上野の森美術館で「Art of our time」という展覧会を見て来た。「高松宮殿下記念世界文化賞20周年」というふれこみの割には、なんというか、けっこうラフな感じの展覧会で、作品の質もかなりばらついているし、展示もざっくりしている。 私はこういったカジ…

美術のさいたま/経済のさいたま(3)

・美術に携わるものが、価値や、価値の共有としての信用について考える事はある程度必然でありながら、それが語りづらい空気が感じられてしまう。これは抑圧的なイデオロギーというものだろう。むしろ価値とその共有について(あるいは共有の不可能性として…

美術のさいたま/経済のさいたま(2)

・美術を、「美」という言葉だけではなく、「価値」と捉えることで、いわば「美」の外から美術を思考する可能性。フェルメールを見て私が感じた価値は、けして誰とも共有されない。私がその時感じた、絵の具の粒立ち、複雑な反射、画面内部でのうごめくよう…

美術のさいたま/経済のさいたま(1)

・信用を、価値の共同化として捉えてみること。信用の崩壊(括弧つきの)とは、複数の人間が、相互に「同じ価値を共有していると振る舞う」態度の不成立であり、自分以外の誰かが、自分の信じている価値を、自分が信じているようには信じない、という状況の…

東京都美術館のフェルメール展が充実していた。フェルメールは国内ではなかなか複数の作品を並列して見る事が難しいけど、この展覧会には7点出品されている。作品間のつながりや差異が確認でき、相互の比較が可能だ。こんな機会は2000年の大阪市立美術館「フ…

父が亡くなってから、漠然と父の死に対し後悔に似た気分が残っている気が、ずっとしていた。父は脳梗塞で倒れて入院して3年でゆっくり衰えて死んでいったから、彼の死に私が直接なにかしらの責任があるわけではない。私が生前父と対立していた、というような…