厳島神社を観光するということ。

・要は観光客の自分て恥ずかしい、というお話です。長文なんで先に答え。

・例えば、海の上に作られた宗教施設という接点で、フランスのモン・サン・ミシェルhttp://www.normandy-tourism.org/gb/02ville/M/MtStMichel.html)を連想してみる(8世紀から建設され始め、16世紀に現在の形になったキリスト教修道院)。

・一見して、モン・サン・ミシェルは「地上から隔絶するために」海上に作られたことがわかる。地上というのは、海も含めて「この世のすべて」のことであり、島の一つを丸ごと建築物化してしまっていることからも、自然の一切の排除が目論まれている。実際には潮の満ちひきの関係で、完全に海に囲まれてしまうのは年に数度であるにもかかわらず、切り立った岸壁がこの建物を、周囲の空間から切り離している。

・対して厳島神社は、毎日2回、満潮時には完全に海中に浮く形になる。秋の大潮時には冠水してしまうほど、文字どおり海中にある。しかし、又はそれゆえに、厳島神社はまったく弧絶した印象はない。いわば海に解け合い、海の一部と化す。または、社殿から沖に作られた鳥居までの海を参道とみたてることから、海を社殿の一部として取り込んでいる。宮島という島全体が霊場とされている点は、モン・サン・ミシェルに近いかもしれないが、構築物が作られたのは、湾の中だけだ。自然の島の1点にだけ社殿を作ることで、島をまるまる象徴化する。

・このような東西対比は、もちろんありふれている。だが、モン・サン・ミシェルを乗り越えてきたような近代建築、例えばミ−ス・ファンデル・ローエの建築と、日本の伝統的建築物の共通項を指摘するような視点があることを考えると、上記のような差異を改めて確認しておきたくなる。近代建築が行ったのは、モン・サン・ミシェルが行っていたような、自然との対立といった枠組み自体を「さらに切り離す」ための、形式化なのであって、その「先」に自然と融和的にある日本の伝統建築があるわけではない。

・日本の伝統建築にミ−スを見るような視点は、サイードが指摘するような形での「オリエンタリズム」に過ぎない。そして問題は、そのようなオリエンタリズムを、僕(日本人)がもっている点だ。実際、霊場である宮島を観光地として訪れる僕(日本人)は、完全にオリエンタリズムの視点で厳島神社を見ている。

・このことを理解している僕(日本人)が、このオリエンタリズムから自由になれると言いたいわけではない。むしろ事態は逆なのだと思う。日本の伝統とは、古代から一貫してオリエンタリズムを抱えていたのではないか。それは戦後などという短いスパンの問題ではなく、はるかに構造的・基本的なことなのではないか。

厳島神社自体が、創建された段階で、中国からの文化的影響の下にあったことは明白だ。その社殿は神社の様式ではなく中国から流入した貴族の邸宅の寝殿づくりに基づいている。そこに当時の人は、「モダン」を感じていたに違いない。そしてそこで開かれた「新しい視点」から、遡った過去をエキゾチックに感じただろう。

・古代には朝鮮半島から、中世には中国から、近世-近代にはヨーロッパから、そして現代はアメリカから。僕達(日本人)は、常に有力な外部からの文化的波に洗われながら(吉本隆明・初期歌謡論)、そのことに傷つくような主体もなく、しかし完全に外部から流入したものを内面化することなく、その都度なしくずしにしてきた過去をオリエンタリズムの視点で眺めてきた。

・今、僕達が作っているもの、発している言葉が、エキゾチックに「観光」される日がやってくる。そのような時間に耐えるだけのものを作るには、少なくとも自らの立ち位置をきちんと把握していなければいけないと思う。