獰猛なもの

「フユノヒ」出展者では、高橋究歩さんの作品が、とてもよかった。ウサギの毛皮と鹿の生皮を、傘に張って展示している。これは、人によっては、ちょっと変わった傘にしかみえないかもしれないけど、僕には何か生々しい獰猛さが感じられた。

動物の革を使ったものなんて、特にこの季節にはありふれている。コート、カバン、マフラー。高価で美しい動物の毛皮が、女性達の身体を飾っている。でも、その美しさは「ファッション」というものに溶け込んでしまっていて、それが「動物を殺して、生皮を剥いだもの」なんだということを感じさせない。

そんな、ただのファッショナブルな素材の一つである動物の毛皮を、「傘」に張ることで、ちょっとずらして見せたのが高橋究歩さんの作品だ。普段「傘」に毛皮は張られない。その違和感が、ただの素材ではない、動物の死骸の一部としての毛皮を際立たせる。美しくソフィスケートされた暴力が、ある官能性を伴って立ち上ってくる感じがした。

蛇足だとは思うけど、この作品は「生物愛護」みたいな、手あかのついたメッセージを内包しているわけじゃない。僕はこの作品が見せる「動物を殺して剥いだ生皮」というものを通じて、よりダイレクトに「動物そのもの」を感じ取った気がする。

ウサギやシカは、動物園やテレビで見る限り、たんに愛らしい生き物のように見える。でも、本来のウサギやシカは、血と肉でできていて、時にその鋭い歯や強靱な肉体で敵に襲い掛かる、リアルな「動物」だ。僕達は動物園のような囲い込まれた場所で、例え本物のウサギを見たとしても、結局イージーなイメージ、愛らしいウサギというイメージを通してしか彼らと接することができない。でも、傘になったウサギの毛皮と鹿の生皮は、そんなイメージを突き破って、僕にウサギともシカとも名付けられる前の、獰猛な動物として僕の前に再生した。

この作家の手さばきは、ノーブルなだけに凄みがある。