建築の話2

磯崎新の挑発?に関しては、磯崎ほどメジャ−でありながら都心でやった仕事がお茶の水スクエアだけというのが恨みとしてはあるんだろうというのがよく言われるけど(安藤忠雄も原宿進出だしねぇ)、とりあえずこの五大ゴミに関しては僕は個人的に納得がいく。

都庁のあられもない権威演出装飾、国際フォーラムの異常な無駄空間(あの吹き抜けの1立方メートルあたりの単価は世界最高金額じゃないか?)はさんざん問いつめられてるけど、僕が今日、改めて言いたいは東京都現代美術館のデパートみたいな展示室構成と芸術劇場の周辺の「文化」をまったく無視した唐突さだ。

東京都現代美術館は、要するに美術館を徹底的に歩いたことのない人間が作っている、というのがよくわかる。あの立方体を繋げたフォルムを良しとする人がいるけど、そんなもんナンボのもんじゃい。この美術館は、中を歩いていると本当に単調な気分になるのだ。ああも退屈な展示順路を長々と続ける美術館を他に僕は知らない。理屈と図面だけで建物をつくるからこうなるんじゃないの?少なくとも、柳沢孝彦は美術作品の観賞という行為を愛していない。

美術館を歩くという行為の質を、身体のレベルで把握するには「美術館を歩いて作品を見る」という経験をある程度重ねないと分からないのではないか。柳沢孝彦には、そういう意味での「美術館という空間に対する教養」がないんだと思う。これは美術館という建物に関する知識とか施工数とかでは決して埋めることができない教養なんだと思う。

芸術劇場は、単体なら格別文句はない(格別素晴らしいとも思わないが)。しかし、あの場所にあの建物はない。
そういう意味では、これはあそこにそういうモノを作ろうとした行政の問題で建築家に罪はないかもしれないが、それならそれでもう少し抵抗の素振りがあってもいいんじゃないのか。
池袋西口という「雑然さ」を糊塗しようとして作られたのが芸術劇場だとしか思えない。芳林堂から立教大学へと伸びる文化的なライン、東武デパ−トと地元商店街の対立を軸にする商業エリア、そして風俗街を根城にする暴力団とヤンキーの黒いまだら模様(池袋ウエストゲートパーク/石田衣良)。その雑然感を無理矢理追い立てるようにあるのが東京芸術劇場なわけだ。違和感ありすぎ。で、雑然さがなくなったのかと言えば、よりいっそうワケがわかんなくなっただけだというのが泣けるというか笑えるというか。

ぶっちゃけこの建物の企画に関わった人間で、「芸術」をまともに考えていた人間はゼロなんじゃないか。あの場所に「文化」の香りを漂わせたければ、積極的にあの土地の雑踏を活かすことを考えるべきだったんじゃないかと思う。それはけっして「芸術」なんかにはならないけど、ゴミ箱にむりやり蓋したみたいに作られた「芸術劇場」のウソ臭さにくらべれば、遥かにましな香気になったはずだ。

基本的に僕はここで悪口は言わないことにしてるのだが、今日は別。敵はエスタブリッシュした巨匠(?)だし、「みなさん、もう少し芸術なり美術なり文化なりを考えて」って動機なんで。でも建築関連のネタはやばいですかー。