技術とメソッド

演劇で、役者に「自由に動け」と言った場合、その役者は、たいてい、自分の身体の「くせ」「習慣」を反復するだけです。彼は「自由」なつもりでいて、実際には彼自身の体の硬さや筋力、過去の記憶などの枠組みの中に閉じ込められています。そこから脱出するには、極めて強い「不自由」の中に、いったん入り込まなければなりません。単純な柔軟性と筋力の獲得から、ある「形」の反復によって、個人的な身体の枠組みを壊すこと、他の(過去の)演劇を参照すること、などを行って、ようやく「自由という名の不自由」を廃棄できます。

「技術とメソッド」は、自由を考える時に不可欠です。「技術」とは、自分の身体を、自分以外のある体系に沿わせて、その体系によってうまれるものを重用視することなので、実は極端に不自由なことですが、これなしに、どんな自由もありえません。

絵画においても同じです。絵というのは、とても簡単な構造で出来ています。紙と鉛筆があれば誰でも描けるし、実際絵を描いたことのない人は少数でしょう。しかし、ある強度をもって描こうと思えば、自分の身体の自由を捨てて、ある体系、あるメソッドの中に一度入り込まなければなりません。そういった不自由さにしか、実は自由の可能性はないと思います。