崩される輪郭線

小山登美夫ギャラリーで、Tom Friedman展を見てきました(http://www.tomiokoyamagallery.com/kaisaichu.html)。
様々な素材による作品が、断片的に展示されています。ストローで作られた放尿している人物像、印刷物を細かく切ってコラージュした作品、鉛筆によるドローイングなどです。
多様な作品たちですが、一見して共通する特長があります。この作品群は、どの作品も、確定した輪郭がありません。個々の作品を、例えば改めて絵に描いてみようと思うと、すぐわかります。輪郭線が引けないのです。

例えば、綿のようなもので作られ、宙に吊られた雲状のオブジェは、繊維が細かくフワフワしていて、中と外の境界が不明確です。ストローで作られた人体は、素材の透明感と、その密度の低さから、スカスカになっています。印刷物の断片によるコラージュは、紙片が重なり合った中心から、外へ拡がるにつれて徐々に拡散していきます。

鉛筆で描かれた人物も同様で、画面に無数に這う細い線がだんだん重なりを増して、ぼんやりと人物になっていきます。色鉛筆による「集中線」は、逆に内部に向かって密度を失いますが、ネガポジを反転させれば、同じ構造であることがわかります。木のブロックで作られた球と、そこに立つ人形も、ブロックの細かさ故に、まるでモザイクをかけられた立体みたいに見えます。

この作家は、細かい断片を集めて、ゆるやかな全体を形作るという手法で一貫しているように見えます。それは徹底されることで、ある概念にまで高められています。
そのことが一番明解に見えるのは、むしろ比較的輪郭のはっきりした作品に現れているように思えます。紙で精巧に作られた「動物の糞」にとまった蝶々、あるいは細かい昆虫の死骸の断片で作られ、ガラス瓶に納められた「トンボ人間」などです。醜いものと美しいものの境界がここでは崩され、イメージの輪郭が崩されています。

そして会場全体が、こういった断片的な作品群によって、ある世界観を形作っています。その細部と全体の関係を精緻に組み上げていく技量は、繊細な作品の印象とは反対に、とても強力なように思えます。「細部-全体」という枠組み自体には若干デジャ・ビュを覚えますが、現実の物質に働き掛けて見事にその様相を変容させてゆく手腕には瞠目します。

info
Tom Friedman展
小山登美夫ギャラリーhttp://www.tomiokoyamagallery.com/
東京都中央区新川1-31-6-1F Tel.03-6222-1006
〜4月24日まで 火-土 開廊(日月祝休み) 11am-7pm
地図などは上記URL参照