芸術は爆発だ

終わってしまいましたが、川崎市岡本太郎美術館http://www.taromuseum.jp/)で、第7回岡本太郎記念現代芸術大賞展を見てきました。

遠い。笑う程遠い。南武線て電車は、あれは本当に首都を走る電車なのか。てか登戸ってどこだ。小田急線?俺を箱根にでも連れていくつもりか。

で、ついた。何だよ向ヶ丘遊園て。お前は東武ワールドスクエアか。小田茜が宣伝でもしてるのか。あ、誰にもわかんないなこれ。だいたい駅から徒歩20分てのは最寄り駅とはいわねぇよ。東京ネズミーランド見習ってモノレール走らせろよ。え。そういう施設じゃない。失礼いたしました。

しかたがないからバスに乗った。なんだ小田急バスって。今どきこんな古臭い車両の路線バスがあるのか。生意気に200円もぼりやがる。俺はすっかり千曲バスかと思ったよ。あ、これバスオタクにしかわかんないな。千曲バスってのはあれだ。長野とか走ってるローカルバスだ。今はしらんがな、俺が子供の頃は首都圏のバスのおさがり車両、中古バス車両を使ってたんだ。椅子のシートとか完全に日焼けしててな、停留所案内の音声テープが伸び切っててホラー映画みたいになってんだ。なんというか、すっかり話しが脱線したな。路線バスネタでつい脱線。上手いな俺。座ぶとん1枚。

ああ、文句言いたいこと思い出したぞ。おい専修大学。お前どんな所に建ってるんだ。ありゃもう関東平野じゃないじゃないか。八王子だってあんなに坂道はないぞ。高尾かと思ったよ。平気で都市型大学気取りやがって、山ん中じゃねぇか。バスがあんまり急な坂道登り続けるんで、ついエンスト心配しちゃったよ。あきらかにエンジンが一杯いっぱいだ。しかも車内ではバカップルが青春謳歌してるし。貴様等は東京エイティーズか。あ、またわかんない例えだな。これはアレだ、スピリッツ連載のクソマンガだ。

で、10分かけて終点までついた。大丈夫か専修大学。向かいはゴルフ場だぞ。ベタに桜なんか植えやがって、毛虫が恐いじゃないか。美術館はどこだ。どこなんだ。なんて探していたら、そこから山道をさらに10分歩かされた。ふざけんな。

本気で高尾山レベル。スニーカーはいてて足首挫いた。女性でまかり間違ってハイヒールとかはいてきた日には、完全に脱落するぞ。ピッケルがいるかと思った。いや下り坂なんだけど。時間を甘く読んできたら、閉館時間まで間がなくなってきて、マジでビバークしようかと思った。痛む足にダメ押しするかのような登り階段をダッシュ。あいたたた。





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                          |も.|
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                          │ね│
                          │え .|
                          │よ .|
               バカ    ゴルァ  │ !!.│
                          └─┤プンプン
   ヽ(`Д´)ノ     ヽ(`Д´)ノ (`Д´)ノ   ( `Д)    ( ・∀)キコキコ
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某隊長風に切込んでみました。正直すまんかった。本題は以下。

●小林洋子氏の作品は、透明なアクリルの筒の中を、紙が1枚づつ落ちていく作品です。筒の大きさが紙とほぼ同じ大きさのため、紙がその面積分の空気抵抗を横に逃がすことができず、きわめてゆっくりと、ゆっくりと下降してゆきます。この作品では、「引き延ばされた時間」を感じることができます。普段僕達が基準にしている速度より、遥かに遅い速度で紙が落ちていくため、それを見続けていると、ある種の息苦しさを感じはじめます。しかし、それは単純な苛立たしさというよりは、急にいつも気にすることのない時間、微分された時間を見せられれしまったという、いわば無限に向き合ってしまった息苦しさのような気がします。
原理はシンプルですが、実際にこの「紙の下降」を実現するのは、かなりの技術力が必要なはずです。この若さでこの工作力。どっかに協力者がいるんでしょうか。


●赤松ネロ氏の作品は、大量の白いビニール人形を、美術館の窓から投げ、それが風に舞いながら落ちていくパフォーマンスの記録映像、および投げられたビニール人形の展示です。
建物の高いところから、次々と落ちて行くたくさんの人形達は、実際の高さよりもかなり高い場所から落ちているかのような印象を受けます。国内で年間3万人を超えるという自殺者を連想してしまいましたが、軽くて風に乗るため、なんかこの人形達の「自殺」にはある幸福感を感じました。自殺というと重いイメージがありますし、実際に重いことですが、10代の人々の自殺願望には、そういった重さよりは「軽さ」を感じることがあります。軽薄というのではなく、「死ぬのじゃなくて、消えたい」という感覚です。アメリ911テロの世界貿易センタービルではなく、幻想の中の、軽く幸福な自殺を僕はイメージしました。いずれにせよ、生と死を上手に扱った作品です。


●榎谷豪人氏の作品は、人の普段の視野を奪って、新しい視野を与えてみる試みです。CCDカメラ?を長い棒の先に付け、それをヘッドギヤにして自分の頭に装着し、カメラの映像を写すスクリーンで、自分の目を塞いでしまいます。こうなると、通常の視界が消えて、自分の頭の上から自分を俯瞰するような視覚を得ます。常時幽体離脱常態?違いますか。
これをつけて生活した記録映像が上映されていて、モノよりこれが面白いです。料理するシーンも笑えますが、この装置をつけたまま、アメリカの都市(ニューヨーク?)の夜を歩く様子がイケてます。繁華街に近くてみんな酔っているのか、アメリカの人というのはそういうものなのか判然としないのですが、この奇妙なかっこうをした作者に、みんなが反応して、話し掛けてきたり追い掛けてきたりするのです。そんな周囲と馴れ合うことなく、淡々と歩く作家の冷静さが、さらに笑いを誘います。八谷和彦氏の視聴覚交換マシーンなどが想起されるのですが、この人のパフォーマンスは魅力です。


以上です。しかしアレですね。岡本太郎というのは、なんかもう、わけわかんないですね。この人が一時期、日本を代表する美術家だったというのは、驚きを禁じ得ません。東京美術学校(現芸大)を1年で止めて、パリにわたって、ダリとグループ展やってたりする人なんですが、そんな経歴故でしょうか。それとも単にテレビCMは偉大だということなんでしょうか。後者だな。同じチケットで常設も見られる、というか、常設見ないと芸術大賞展が見られないんですが、草間弥生とは違った意味でお化け屋敷でした。そしてそんな場所でデートしてるバカチンが多いのにも驚きました。こんなところで愛は深まるのか。爆発しちゃうぞ。