ボードレールから藤枝晃雄・椹木野衣・岡崎乾二郎まで(3)

専業の美術批評家ではないにもかかわらず、極めて先鋭な批評意識で美術にむかって発言する浅田氏は、日本の美術にとって「天使的」な存在でした。日本の美術の内部でも外部でもない立場、いわば境界線上に立ち、80年代後半から90年代にかけて、なまなかな「作品」よりは資本の高度な運動の方が状況を変えていくと言ってはばからなかった浅田彰氏は、しかし徐々にヨーロッパ的ハイカルチャーの立場への「転向」を強めてゆきます。

そして浅田彰氏は、「日本・現代・美術」に3年先行する1995年、重要な書物「モダニズムのハードコア」を、批評空間誌の別冊という形で岡崎乾二郎氏と共に編集・出版します。ここで浅田氏は文字どおり「モダニズムのコア」に回帰することを宣言し、その本の中でキッチュを受け入れざるを得ないとする磯崎新氏を批判します。この書物の登場は、例えば藤枝氏の「絵画論の現在」に対する「凡庸な芸術家の肖像」との関係よりも、決定的な「衝突」として椹木氏にインパクトを与えたのではないでしょうか。

日本の美術が抱え込まざるを得なかったキッチュというものを切り捨てていこうとする浅田氏は、国内初のメディアアートミュージアムICCの設立にかかわったりしながらも、なお「天使的」な態度を崩しませんでした。デビュ−初期の一時期以降、まとまった著述を記さず、西部邁氏に批判されながらも自らの「不能性」を語るだけだった浅田氏が「日本の美術」の「醜さ」をパージしていったことへの、深い反感が椹木氏に「日本・現代・美術」を書かせ、「日本ゼロ年展」を企画させたと考えるのは、考え過ぎなのでしょうか。

いずれにせよ、この「日本・現代・美術」と「日本ゼロ年」は、実際に日本の美術状況を変えてしまいました。この言い方が言い過ぎなら、「椹木氏的態度」を共有した一群の美術家との「共同作戦」が成功したと言ってもいいかもしれません。椹木氏が「日本・現代・美術」と「日本ゼロ年展」で評価した作家群は、次々と海外で評価されていきます。「日本・現代・美術」以前から欧米に進出していた村上隆氏は、その「成功」をさらに確固とさせながら国内でも影響力を拡大していきます。ヤノベケンジ氏や会田誠氏も海外へその活動範囲を広げ、岡本太郎の再評価の動きは強まります。

ただ、このことが椹木氏の全面勝利と言えるのかどうか、疑問が残ります。椹木氏の評価した一群の「世界的水準」にある美術家たちにとっての「世界」というのが、実は「アメリカ」だったということが、重要なのです。「日本・現代・美術」は、その中で繰り返し1945年以降の日本の美術のアメリカによる文化的レイプの痕跡(の隠ぺい)を指摘します。そしてその痕跡を明確に意識しながら、「外部」との緊張関係の中で「外部」からも評価されうる作品を、椹木氏は顕揚してゆきます。その外部とは、すなわちアメリカなのです。

1945年以降世界の歴史から切り離された日本美術が、その自足的自閉状態の中で「現代美術ゲーム」を遊んでいたという指摘から、その「内部」をつきやぶる作品を椹木氏が評価するのは正当すぎるほど正当でした。しかし、その出ていった先がアメリカという「文化的帝国の内部」だったとき、その正当性に留保が必要になってゆきます。

ソビエト崩壊以降、アメリカ=世界、という構図は二重性を持ちます。その経済的・文化的・軍事的支配力の圧倒的な強さ故、たしかにアメリカ=世界と言い切ってしまうことは可能なのですが、しかし、そのアメリカ=世界という構図を担保しているのが、実はアメリカの「外部」への極端な圧力(暴力)でることが、明瞭になってきました。そしてこのアメリカ内部対その外部、という構造は徐々に緊張感を強めてゆき、のちにイスラム原理主義者による911同時多発テロへと結実してゆきます。

日本と言う内部の自閉性を批判し、そこにアメリカによる文化的支配による歪みを指摘し、そのことを自覚しながらアメリカに「逆上陸」しうる力を指向すること。その「逆上陸」が、実はアメリカへの「反逆」たりえる筈だというのが、「日本・現代・美術」の「可能性の中心」だったかもしれません。しかし、その「逆上陸」の「成功」の基準が、アメリカという「文化的帝国」をゆさぶるという評価ではなく、単に「アジアの不思議な文物」として扱われる事によって、分裂的な筈のアメリカ「国家」の「統合」を補助する道具という評価になってしまったとき、じつは「反逆」は一転して「隷属」となってしまったのではないか。

結果的な現象によって、「日本・現代・美術」という書物を判断することは不当かもしれません。しかし、椹木氏があえて「現状を現実的に変化させること」を意図して「日本・現代・美術」という書物を書いたのだとするならば、やはり現実的な現象に対して、たとえそれが「日本・現代・美術」の水準とは無関係におきた事であっても、ある責任の一端を問うことは、むしろこの「日本・現代・美術」という本が単なる本ではない強度を持ちえたことを評価することにも繋がるはずです。

2001年、この状況すなわち「外部=世界=アメリカ」という構図の強化を、批判的に乗り越えていこうという書物が現れます。批評家ではなく、画家の立場から書かれたその本は、更に実践的な態度をあらわにします。岡崎乾二郎氏による「経験の条件」がそれです。(つづく)