重さを包容する明るさ

終わってしまった展覧会ですが、リトルモア・ギャラリーの川内倫子写真展 AILAに行ってきました。
精緻なカラープリントが、額に入れられるのでは無く、大小様々なアクリル板に張られ、ランダムに壁面に置かれています。奥の1室ではスライドショーが行われています。

テーマは一見して「命」ということだと理解できます。動植物、昆虫、魚、羽化直後の鳥の卵などが繊細に撮影され、その中にへその緒のついた新生児の写真や、女性の分娩を捉えた写真が入り込み、全体に人というものを「生き物」という視点から捉え直すような展示だとも言えます。写真自体は川内氏特有の、明るいレンズでハイトーンに撮影されています(フラッシュも効果的に使われています)。ピントは意図されたもの以外は正確に合っており、マクロ撮影されたモチーフなどは微細なテクスチャまでシャープに捉えられています。構図もほぼ全ての被写体がまっすぐ、正面から捉えられ、HIROMIX以来の、若手写真家の中でおおきな流れとなった手ぶれ・構図のハズシを効果とするものとは異質なものです。

高い集中力と技術から生み出される工芸的なまでの作品の質によって、川内氏は生き物というものの持つ艶かしさ、美しさというものを捉え、定着させることに成功しています。それが陳腐な「生命讃歌」とはならず、深さを含有しているのは、背後にネガティブなもの、死への視線があるからであり、生命の危うさ、無気味さ、怖さ、死の欲動といったものも剥き出しで把握し、そのうえでそれらを全面的に肯定することによって初めて「命」という無限定なものの魅力を表現できるのだという、強い意志があるためだと思えます。

今回の写真展には、川内氏の、写真家としての切断面のようなものを示していると思えます(大きな「切断」加工機械の写真が象徴的に1つだけ紛れ込んでいます)。この作家は、自己の表現に対して、より「技術」を重視し、ある人工的なまでの世界を作ることによって初めて「自然」が捉えられるという意識を強めたと思えます。たとえば、へその緒をつけたままの新生児は、あきらかに「自然」に撮られたのではなく、写真の仕上がりを意識して綺麗に拭われた状態で撮影されています。また、羽化直後の鳥の卵は、慎重にライティングされ、羽化の瞬間を狙いに狙って撮影されていることが分かります。生き物という「自然物」を、その美しさの中心で捉えるには、ある人工性、操作、複雑な技術、セッティングが必要とされると川内氏は考え、実行しています。

これは、最近の、写真ジャーナリズムの多くが選択した方向とは違う方向です。現在、広告や雑誌などで扱われる写真には、コンパクトカメラあるいはデジタルカメラによるスナップショット的な写真が目立ちます。実際にプロとして活動している若手写真家の写真は、もちろん単なるスナップではなく、慎重に考えられ、相応の技術力で撮影されていますが、メディアに乗る場合、それらの「意図」や「技術」は隠され、まるでそれらの写真が「ナチュラル」に撮られたかのように提示されます。日常風景や身近な人々のポートレートなど、「親近感」が重要視され、場合によってはあえて性能の低いLOMOやトイ・カメラなどを使って「技術的に素人っぽく」撮影されたりします。そこには、テクニックをもちながらそのテクニックを観客に「見せない」ために、より高度なテクニックが行使されるという状況すらあります。その場合大事にされているのは、なによりも消費者との「親近感」であり、消費者との間に壁を感じさせるものは排除されています。

川内倫子氏は、そこに、つまり観客と作品の間に、今回明確にある断絶を導入しました。前述したように、あからさまに明示された意図と技術は、その作品を目にした観客を、「日常でない世界」へと立ち向かわせます。そこでモチーフとされているのは、本来極めて自然である筈の「生き物」であり、その誕生の瞬間です。しかし考えてみれば、例えば出産・分娩というのは言祝がれながらも巧妙に隠蔽された瞬間であり、ブラックボックス化しています。今回、女性の分娩の瞬間を捉えた写真は明るい光を感じさせる仕上がりを見せていますが、これも当然「自然」に撮られたのではなく、意識的なものの筈です。このことによって川内氏はブラックボックスを壊し、「自然」をそのまま見せるという、逆の意味での「非日常」を提出しています。

この川内氏の反水平指向=垂直なものへの希求は、今回販売される写真集にも現れています。大判の上製本で、箔押の表紙にぶ厚いページ数は、今までの川内倫子氏の写真集ともはっきりと違う作りです。代表作となる三部作「うたたね」「花子」「花火」はソフトカバーで中判の写真集であり、ページ数もそれほど多くはありません。こういった作りの写真集は、見た目の印象・手に取った感触・重さ、価格の面で「親近感」のあるものです。今回の写真集「AILA」は、その全ての要素で反対を向いています。

川内倫子氏のこの転回は、何を示すのでしょう。重厚な写真集で生命という大テーマを扱うというのは、大胆な保守化ともとれるでしょう。その変化を支えているのは、確固とした技術と「明るさ」への信頼です。川内氏はデビュー以来、一貫して「明るさ」を使いこなしてきました。「明るさ」は、一般的に「軽さ」に対応しています。しかし、川内氏は、自らの写真が持つ「明るさ」は、十分「重さ」にも対応し拮抗しうると判断したのでしょう。生/性=死というものの「重さ」さえ、自分の写真の「明るさ」は包容することができるという自信は、今回の展覧会によって確かに証明されたように思えます。それは、ややもすると母性への信仰、子宮絶対主義のようなものに傾く恐れを含むかもしれませんが、これは生物的に男である筆者の分娩不能コンプレックスからくる杞憂なのでしょう。

結論を言えば、素晴らしい写真展だったと言えます。プリントが実際に見られる機会を逃した方は残念。写真集を買いましょう。少し大きめの本屋さんなら置いてあると思います。