野口里佳:飛ぶ夢を見た

原美術館で「野口里佳:飛ぶ夢を見た」展を見て来ました。写真の展示です。


1室目に海中遺跡(とよばれているモノ?)を撮影した作品があります。海中を青く撮るのは相応のテクニックを要すると言われますが、フィルターによる処理がされていると思える他は、ストレートなプリントだと推測されます。


また、隣の部屋には、この作家の初期の代表作と言われる、ダイバーの後を追い、海中のプール施設に潜り込んで撮影されたモノクロ写真があります。極端に横長の構図で、施設に向かうダイバーの姿を背後から撮った作品、また、プールに入った後は極端に縦長の構図でタイル張りされたプールの中を撮影した作品等が並びます。この部屋の奥には、カラーの公園のような所を撮った写真が1点だけ、切り離されたように展示されています。


廊下には小さなカラ−プリントが額に入った状態で展示されています。砂丘状の広漠とした場所で、凧上げをする人々が点々と、小さく写っています。2Fに上がる途中には、2点の、パワ−ショベルで海底をさらう模様を撮った写真があります。恐らく浚渫作業の様子を撮ったもので、あくまで海底の土砂をサルベージしている光景と思われますが、タイトルは「水をつかむ」とされています。


2Fには、青い空に軌跡を描いて打ち上げられた「ロケット」の写真があります。本物のロケットではなく、模型かオモチャのような、簡易な「ロケット」だと思われます。隣室には、現実のロケット打ち上げ施設(種子島宇宙センター?)を撮ったものが、やはり大判のカラーでプリントされています。建造物の巨大さに拮抗するように、ふたたび極端な横長の構図などが採用されています。特徴的なのは、ロケット本体は、このシリーズには写っていません。施設内部を捉えた写真は、納めるべきロケットを欠いた「空洞」の状態です。


他にも富士山の荒涼とした山肌を月面に見立て、そこを走る自衛隊員などの姿をおさめた小プリントの連作等があります。


全体に、日常的な光景とは違う光景(風景、とは言えない)、「今ここではない、別の世界」への指向が前面に出た作品で構成されています。別の世界というのは、単に海とか空とか巨大施設といったことではなく、「異世界」に向かう視線です。野口里佳氏の作品での''宇宙''や''月面''、海底遺跡などは、日常我々の目に触れないけれど実際にはある光景、ではありません。生活空間とは完全に次元を異にする世界、場合によっては「宇宙人」や「未知の古代文明人」といった水準まで断絶した世界です。


例えば「模型かオモチャのようなロケット」は、実際に宇宙にいったりしません。しかし、この野口里佳の写真がイメージさせるのは、まさに「オモチャ」だけが獲得できる、空想上の「宇宙」、現実には存在しない「宇宙」です。また、実存するロケット打ち上げ施設を撮影した写真では、逆に「本物のロケット」が排除され、施設内部の空洞が写されます。そこでイメージされるのも「オモチャのようなロケット」と同じ「空想上のロケット」であり、それは空想の産物である以上「現実的な宛先」をもったロケットではありません。


海中遺跡も現実にはない世界、例えば「未知の古代文明人」のような世界をイメージさせます。富士山の山肌を月面に見立てた作品も、実際の富士山や月面ではない「どこにもない月面」をイメージさせます。ギミックのない、ほぼストレートなプリントで実際にある光景を撮影しながら、野口里佳氏は「画面には写っていない世界」を観客にイメージさせるような作品を「作っている」と言えます。


また、この作家の特長は、そういった「空想的世界」に溺れることなく、あくまで自分がいる場所、(彼女が撮ろうとはしない)日常的な場所から「仰ぎ見る」ような視点で作品を撮影している点です(展覧会タイトルに「夢」であることが明示されています)。作品から喚起される「異世界」のイメージは、あくまで「予感」されるものであって、撮影者自身は「異世界自体」に立っているわけではありません。その結果、異世界を「予感」させる作品は、そこに写っていない「日常の場所」も逆照射します。


具体的には、野口里佳氏の作品は「実際にある光景」を撮った図像から、「その図像が喚起する異世界のイメージ」へと視点が移行し、同時に、その写真が撮影された、その異世界を仰ぎ見ている現実をも意識させ、結果的に「異世界と現実の距離/断絶」が開示される、といった構造になっていると思えます。ダイバーを追った作品以外の全ての作品では、そのプロセスが、一気に提示されます。


唯一の例外は、初期のモノクロ写真でダイバーを追った作品です。ここでは陸上を重い機材を背負って歩くダイバーを背後から撮った作品で始まり、その後にダイバーが海中に入ろうとする瞬間の作品が続き、さらにそのダイバーを追って水中に潜った野口里佳氏がダイバーの視点に追い付くようにして撮った、海中プールの光景と、連続的に展示されます。そこには後のカラー写真にはない「プロセス」、地上から徐々に異世界を予感させる光景に接近していくプロセスが、順に提示されます(カタログでは、ダイバーが海中に消える光景をみた野口里佳氏が、そこから改めてダイビングの資格を取り始め、長い時間をかけてダイバーの後を追ったことが記されています)。


このシリーズの写真だけがモノクロで焼かれていることにも、十分な意味があります。大きく引き延ばされ、粗い粒子があらわになったモノクロのプリントには、その作品が定着していった物理的なプロセスが刻印されています。カラープリントとは違った、おそらく作家の手が介在した(作家自身がこの巨大プリントを直接焼いたかどうかは未確認です)フィルム-フィルム現像-印画紙への焼きつけ-定着・洗浄という製作過程が感じ取れるという点も、この作品が「プロセス」、つまり瞬間的ではない、ある時間を抱えたものであることを示しています。


個人的には、この初期のモノクロ作品に内包されている「時間」に、豊かで未分化な可能性を感じました。しかし、自らの提示する世界観に対して耽溺することなく、あくまで「距離と断絶」を深い覚悟をもって保持し続けるこの作家は、そのことにも十分自覚的と思えます。今回この初期作品を排除しなかったという点に、その意識が垣間見れます。会期終了間近。


野口里佳:飛ぶ夢を見た/原美術館

  • http://www.haramuseum.or.jp/
  • /11:00〜17:00(5/5を除く水曜日は20:00まで開館/入館は閉館時刻の30分前まで)
  • 〜2004年7月25日