クリープの無いコーヒー?

表参道のNadiffで、山口晃挿絵展「菊燈台」を見て来ました。
澁澤龍彦の「菊燈台」の新装版のために描かれた挿絵の展覧会です。あの(どうしても「あの」がついちゃうんだけど)山口晃氏の展示ということで、どんだけ遊んで来るかなと思ったら、水彩紙に描かれた絵を額に入れてかざるという、めっちゃストレートな展示。絵柄じゃ無茶してんだろ!と思って見てみると、これがまたまっとう。文章に一通り素直に沿った内容。ぶっちゃけ3流ポルノなんですが、おおよそマンマ。ギミックなし。ヤマなしオチなし意味なし。

えー。

山口晃氏の本領というのは「ちゃかし」です。断言します。つうか、そこがこの人の命です。が、今回はこれがありません。ちゃかしのない山口晃氏なんて、なんてなんてなんて。あえていいますが、この人の「画力」なんか、重要性としては二の次ぎです。今回の展示を見て「やっぱりこの人は絵が上手い」とか言ってる人はシロウトです。この人の「上手さ」というのは、描画の上手さではなく「ちゃかし」の巧妙さにあるのです。

日本における「絵」の形式を、それこそ古典蒔絵から浮世絵、近代日本画、「洋画」、現代美術、マンガ、アニメ、ありとあらゆる「ニッポンの絵」を縦横無尽に駆使して交錯させ、リミックスし、ちゃかす。そこにこそこの人の上手さがあるんであって、単に図柄を描く力だけをとるなら、漫画家の井上雄彦氏やアニメータ−などの方が、よほど「上手」です(ちょっと暴言)。

実際の展示を見れば、それは一目瞭然です。「あーこれだったら漫画家の誰それでもいいんじゃないかなー」とか思った人も多いんじゃないでしょうか。僕はそう思いました。

なんでわざわざこんなことを言うかというと、「惜しい」と思うからです。なんてったってネタが澁澤龍彦ですよ?これはちゃかし甲斐がある素材でしょう。その耽美''趣味''をちゃかし、文学''趣味''をちゃかし、異端''趣味''をちゃかす。とにかく澁澤龍彦というのは徹頭徹尾「趣味」の人なんですから、その「趣味」を共有してる「澁澤ファンの共同体」を、正真正銘の美術家の立場から一刀両断できるチャンスだった筈です。

しかし、今回展示されているのは文字どおり挿絵です。それ以上でも以下でもありません。多少の仕掛けはあるんですが(風景中に自動販売機が描かれていたり)、これは器用な職人芸の範疇です。これだと強力なまでに俗な澁澤ワールドに取り込まれて終了です。もう一冊刊行された「獏園」のほうの挿絵は、細かいところに「ギャグ」がしかけてあって(オーラルセックスを施される、獏になった高丘親王の図とか)、これはなかなか良い線をいっているんですがねぇ。なんでこっちを展示しなかったんだろう。途中で展示替えしたのか?

毎回毎回金子國義でもねーだろ、という事で起用されたんでしょうが、本気モードじゃなく''こなした''というなら、新作ではなく旧作を適当にみつくろって、挿絵として機能していない「現代美術」を挿絵として突っ込んだ会田誠の「ジェローム神父」の方が、実はジュスティ−ヌ物語からの恣意的な抜き出しで本を1冊作って商売しちゃってるという点とうまく照応していて良いと思います。なまじ書き下ろしちゃってる当たりがハンパ。どうせなら、澁澤ファンに総スカン食うような「ちゃかし」が見たかった。で、それを出版元が許さないっていうなら、そんな仕事突っ返して、個人的に好き勝手に「山口晃版菊燈台」を繰り広げちゃって、外人に高値で売り付ける、くらいのことはしても良かったんじゃないでしょうか。

なんてったって、山口晃氏は、そのくらいの事はできる、希有な「美術家」なんですから。

山口 晃 挿画 [菊 燈 台]