ブラックホールからの脱出軌道

ギャラリー山口で、堀浩哉展を見てきました。1980年代の旧作から、2003年の作品までの絵画作品を展示した個展です。

1辺が2M,3Mを超えるような大きな木製の自作パネルに、様々なストロークが積み重ねられています。そのタッチや粗密、色彩は、年代によって様々ですが、画面の構成要素の主軸が「ストローク=長い筆跡の反復」であることは一貫しているように思えます。

そのストロークが、画家の身体の運動の軌跡であることは間違いありません。しかし、だからといって、それを「描くという行為の痕跡である」と簡単にまとめてしまってはいけないと思います。そのストロークは、むしろ、描くと言う行為自体から脱出していこうとするような強度、画家が絵を描く、というイメージから離脱していこうとするような強度を示しています。ジェット戦闘機が無数の離発着を行ったあとの、航空母艦の甲板が絵画になったような感覚です。

いや、この例えは正確ではありません。堀浩哉氏の「離発着」は、けして一方向からだけでなく、あらゆる方向から行われています。直線だけで無く、その軌跡はうねり、回転し、強く、弱く、慎重に、大胆にくりかえされています。

ですから、この絵の大きさは、けしてハッタリでもなければ、インスタレーションのような「場所」に対する効果を狙って決められたものではありません。堀浩哉氏が、「描くと言う行為からの離脱」を行う上で必要な大きさが厳密に探されているのだと思います。

なぜこんなにも堀浩哉氏は、繰り返し、何度も何度も「絵画」から離陸しようとするのでしょう?それは、つまり未だに堀浩哉氏が「絵画」から離脱しえていないことを示しています。この絵画を見る人は、軽やかに1度で成功した離陸の痕跡を見るのではありません。無限に、無理矢理飛び立とうとしながら、その度に引き戻されてしまった離陸の失敗の軌跡を見ることになります。

堀浩哉氏の画面では「深さ」や「美的なもの」は完全に切り離されています。「絵画的」なるものは、ここでは一顧だにされていません。しかし、絵を描くことそれ自体はけして放棄されていません。「絵画」などと僕は簡単に書きましたが、ここでは「絵画」なるものからは決別しながら、「描くこと」だけは消え去ることがないのです。試みられれば試みられる程に、むしろ強固になってゆく「描くという行為」が露呈してゆきます。

「描くという行為」自体は、もちろん実体的なものとしてあるわけではありません。僕は上で航空母艦と言う不適切な比喩を使いましたが、もっと的確な言葉を探せば、それはブラックホールからの脱出の軌跡のようなものかもしれません。それは見えないことによって、存在が浮上してくるのです。

堀浩哉氏の、この不可能性へのアタックは、けして開かれた、一般性をもったものではないと思います。誰にも肩代わりされ得ない、孤独な試みの積み重ねが、この高名な作家の中心的な活動であることは驚くべきことです。

※参考id:eyck:20040525

堀浩哉展