なんと題してよいやら

加納光於展(http://www.kgs-tokyo.jp/human/2004/040913.html
なんか個展やってました。加納光於先生。どのくらい知られてる人なのか分からないので簡単に説明しとくと、もともと銅版画をやってた人。駒井哲郎と並び立つ巨匠(?)。駒井哲郎が芸大出で弟子も多くて日本銅版画界の保守本流だとすると、加納光於は独学で「孤高」の「異端児」。孤高の異端児で銅版画なだけに文学との距離が近くて、詩人の大岡信と共同でジョゼフ・コーネルみたいなボックス・オブジェ作ったりしてたこともある(大岡の書いた詩を蜜蝋で封印しちゃってた)。シュールレアリズムの運動でよく使われた技法の1つのデカルコマニーという技法を銅版画に応用したことで有名。瀧口修造ぽい?まぁそうです。そのセンの人です。


あんまり水を吸わない紙に絵の具を置いて、その上から別の紙で押さえ付け、2枚の紙をはがし、偶然性に基づいて模様を作る技法をデカルコマニーといいます。二つ折りした紙に絵の具を挟んで広げた時にできる左右対称のデカルコマニーは、心理学のロールハッシャテストで使いますね(このテストの考案者のスイスの心理学者ロールハッシャは画家でもあったという噂あり)。


これを銅版画でやったというのがコワい。銅版画というのは、銅にグランドと呼ばれる防蝕剤を塗って針(ニードル)で傷つけて絵を描き、硝酸などに浸す。グランドで覆われたところは平らなままで、針で絵を描いたところだけグランドが剥がれてて銅版が露出してるから酸と反応して溶けて凹む。酸から引き上げてグランドを拭き取って凹んだところに絵の具つめて紙にすりとる。


加納光於氏はこのグランドにデカルコマニーを施した。銅板に引いたグランドが乾く前に塩ビ板などを押しあててデカルコマニーの模様を作って腐蝕する。そこにインクを詰めて刷る。
と、簡単に書いたけど、この腐蝕が難しい。グランドは溶剤にアスファルトとかを溶かしこんでいるものなんだけど、普通の市販品をデカルコマニーしても、薄い油膜と厚い油膜ができるだけで、短時間腐蝕しても版にはなんの効果もない。無駄に長時間やったら厚さにかかわらずグランドが壊れて版もめちゃくちゃになるだけ。


デカルコマニーの効果が上手く腐蝕されるように、アスファルトの粒子と溶剤の質を調整してグランドを作り、しかも弱い酸(たぶん加納氏は第二酸化鉄を使ってる)をさらにゆっくり反応させるように工夫して(夏場の腐蝕を押さえるために入れる「氷」を、加納氏は冬でも入れてたと思う)、極端に繊細な製版をする。


更に、これが色鮮やかな色彩銅版画で、もともと銅版というのは版をメッキしても顔料と金属が化学反応しやすくて色が濁る(黒ずむ)から、カラーインクを扱うのは難しいんだけど、この人はあたりまえのように顔料から何から研究しまくって、一から自分で絵の具作って、他の人にはまねできない彩度のデカルコマニー/カラー銅版画を実現した。


微細な腐蝕や職人技の刷りにも驚いたし、そのインクやグランドを粒子レベルでコントロールする無茶なところが、この人の「文脈」を超えてなかなか面白いなぁ、と思ってたこともあるんだけど(当時銅版画をやってた僕はその超絶技巧にびびった)、このデカルコマニーという技法を油絵に転用し始めてからは、なんか無闇やたらにデコラティブになってしまった感があります。


その画面上を走る矩形はなんだ!?とか、バックのグラデーションはなんだ!?とか、突っ込み所満載なんだけど、誰も突っ込まない。なぜなら孤高で異端児でシュールレアリスムで文学で巨匠だから。いいいのか。それでいいのか。


今回の個展もそのデコラティブな油絵がメイン。うーん。デコラティブ。ああデコラティブ、デコラティブ。
なんてことを思っていたら、画廊の人に「奥にも作品ありますよー」といわれて入ったところに、いました本人が。どうわー。そういえば池袋セゾン美術館の個展でも、現場にいたなこの人。で、女子高校生にサインしてたな。加納光於にサインねだる女子高校生という存在に当時は驚いたものですが、今回流石に僕はだまってました。油やめて銅版画刷りません?なんて言えないじゃん。


加納光於