絵が描きたくなる展覧会

川村記念美術館でロバート・ライマン展(http://www.dic.co.jp/museum/exhibition/exhibition.html)を見てきました。結論から言うと、「うーむ、絵が描きたくなる展覧会だなぁ」ということで、こういう感想を持たせてくれる展覧会というのは「アタリ」です。僕は日々絵を描いてる人間ですが、そういうヤツにまで「あー描きたい」と思わせてくれるというのは、貴重ですよ。帰宅時間が長かったのがじれったいくらいでした。


ライマンは「白い絵」を描く人です。え?真っ白?それじゃのっぺらぼうじゃんよ、と思われた方。まぁ慌てなさんな。パソコンの中身を調べるみたいに、ちとライマンの絵をバラしてみましょう。
ライマンの絵を見ると、たんなる「のっぺらぼう」じゃない、いろんな要素が目に入ります。具体的には


●絵の具

  • タッチ(筆跡)
  • 絵の具の質感・白のバリエーション(油絵の具の種類、エナメル塗料など)
  • 実は白だけじゃない色もある(ある色をのせてから、上から白で押さえたりしてる)

●基底材(紙とかキャンバスなどの、絵の具がのっかる部分)

  • キャンバスや紙・鉄などの、色と物質感
  • キャンバスを作ってるいろんなモノ(布、木枠、ホチキス、釘等)

●壁との関係

  • 壁との距離
  • 壁に基底材を固定している機具
  • 美術館の壁の「白」と絵の「白」の差

ん。ざっとこんなところか。もっと細かく見れば他にも出てくるけど、まぁ全体を見回すとこのくらい。


絵の具のタッチの多彩さに目を奪われてしまいそうになりますが、大事なのは、この人が「豊かさ」を求めてタッチを重ねているわけではない所です。一筆入れたら、画面はどう変化するのか。ライマンの興味はここにあります。白の顔料の差や時には絵の具メーカーの違い、エナメル塗料やキャンバスの地塗り材まで導入しながら、ライマンは一筆入れることによって発生する画面の変化を冷静に見極めていきます。


そして、多くの作品で、絵の具が乗せられている基底材が露出しています。紙や樹脂素材などの基底材の物質感やそれらの素材自体の「色」が作品の構成要素をなしています。キャンバスと一言で言っても、それらは画布と木枠とそれらを接合するタックス(クギ)やホチキスで成り立っています。そういったものがひとつづつ、丁寧に意識され、「絵画」を作り出しています。


更に、こういった要素で出来た絵画は、美術館の壁面に設置されます。普通は隠される様々な設置機具(ひも、ボルトetc)は現わにされ、壁にかけられて成り立っている絵画というものを明らかにしてゆきます。壁から意図的に浮かされたキャンバスや、厚みのない紙などによる作品を額にいれたりせず直接壁面にホチキスでとめられている作品群は、壁と絵がいかに関係しているのか、その危うい様相を明示します。


こういった要素、画材の質感やタッチ、キャンバスや紙、そして「壁」の存在というのは、別にライマンの絵だけにあるもんじゃありません。そりゃそうです。でも、他の人の絵では、そういった「絵の骨格」が隠されて、豊穣な肉がついています。(スゴそうな)モチーフとか(意味ありげな)テーマとか(難しい)コンセプトとか、なんだか立派なものがドーンと前面に出ていて、いつのまにか「絵と壁の関係」なんて見ないことになってます。でも、あるじゃん。絵と壁の関係って。


何かというと「立派なもの」になりたがる絵画とは違った、絵の基点を考えた絵画が、この展覧会にはあります。ライマンの絵には「謎めかし」がありません。崇高さ、荘厳さ、深さを表現する為に絵があるのではありません。壁があり、木枠があり、画布があり、それらが関係しており、そこに絵の具が載る。それだけのことです。それらの要素による絵画の成り立ち、というものを明らかにするのが「白」なのであって、精神性とか、純粋さとか、そういった「絵以外のこと」にライマンの作品は興味をもっていません。そして、紙に絵の具を置くという、たったそれだけの事を試していく行為が、一人の誠実な人間に50年という時間をかけてなお終わらない無限の実験を続けさせるに足る複雑さを産んで来たのです。すごい。「なんか人と違ったことやって目立とう!」みたいな退屈な欲が、ライマンの絵にはありません。逆に、絵とはなんだろう?という探究心だけが、果てしなく、どこまでも展開します。


ライマンはかつて、美術館で絵を見た時の感銘を基に「とりあえず」絵の具を買って来て、絵を描いてみました。平らな紙に絵の具を載せてみたら、どうなるのだろう?という衝動から、まず、絵を描いてみました。その試みは「崇高さ」や「深遠さ」に変質することなく、続いています。その作品が、もし何か「違う力」を持つのだとすれば、それは「あなたも絵を描いてみないか」という誘惑ではないでしょうか。


もちろん、ライマンと同じことを「しなければならない」ということはありません。ライマンの問題意識は、やはり絵画とは平面の上の出来事なのだ、という「この50年」の時代の申し子でもあります。絵は、もっと幅のあるものとも言えます。
でも、「紙に絵の具をのせてみる」という行為は、とてもシンプルで、普遍性があります。その、シンプルで「難しさ」のない営みは、どのような人にも手の届く所にあります。そしてそれは、人を驚かす道具でも、誉められるための手段でもない。紙と絵の具が、何を引き起こすのか。そのドキドキ感を追っかけていく世界は、多くの人に開かれている筈です。

絵を描くって、面白いんだなぁ。


ロバート・ライマン展