マチス展

国立西洋美術館マチス展を見てきました。(http://event.yomiuri.co.jp/matisse/)「バリエーションとプロセス」の副題がつけられた、意図が明解で多数の作品が見られる充実した展覧会ですが、ここではマーグ画廊での個展に出品されていた「夢」という作品について書きます。下記の画像を参照して下さい。

キャンバスに油絵の具で描かれた作品で、1940年制作です。キャンバスのサイズは中程度で、額に入れられています。また、展示会場には作品の隣にモノクロの写真数点によって、この作品の製作過程を断続的に撮影したものが展示されていますが、これはマーグ画廊での個展の時にも展示された写真です。


机に上半身を倒し、腕に顔を埋めて眠る女性の姿を描いた作品ですが、この作品の意図は、最初にその女性の顔を隠してみると(人物画というイメージを捨てると)明解になると思えます。


まず、白い面(左腕および背中)が画面中央やや右よりに大きな面としてあり、右辺に接しながら左上方へ向かって伸びてゆきます(右肩から右腕に相当)。その白い面はカーブを描きながら下へ向かい、左辺に接しながら画面中央よりやや下まで伸びて終わります。その先には薄いバーミリオンによって右手の甲と指が描かれています。


この逆Uの字を描く白い色面に包まれるように、右手と同じ薄いバーミリオンで顔が、その下に逆Uの字をつなげるように左手が描かれています。この左手は、色彩は右手・顔と同じであり、形態は右手・顔と呼応するようなリズムをもっています。左手は白い面の、下に開いた逆Uの字をブリッジする、Aの字の横棒のような位置にあり、同時に画面上から顔・左手・右手という順で色彩と形態を反復しています。


画面左下から(モチーフの女性の「下」を通って)画面右上に向かって、紫のテーブルを示す色面が描かれています。その大きく蛇行した輪郭をなぞるように、黒い線が描かれていますが、その輪郭線と紫の色面はズレています。画面右下には褐色の色面があり(女性の下半身に相当)、その形態はだいたいにおいて台形をなしていますが、その左辺は直線的で、すぐ左側に描かれたテーブルの下辺と並んでいます。


顔と左手の間に挟まれた場所には黄色い色面がおかれ、これは逆Uの字の白い面の「背中」部分の服の模様と似た色彩になっています。この黄色は、画面中央やや下にもありますが、この部分の黄色い色面の描く縦の弧は、左腕の描く「でっぱる」弧と紫のテーブルの描く「ひっこむ」弧の間で、その二つの弧を反復しています。
それらの色面を取り囲む、画面の四辺の「余白」=「背景」は、高い彩度の赤で均一に塗り込められています。


逆Uの字の白い面には、黒の線で洋服の模様と思われる幾何学的装飾が描かれています。画面中央やや右の左腕部分と画面左の右腕部分に、ギザギザの黒い直線が何本も描かれていますが、この模様は背中の黄色い色面の上にも、ゆるめられた(曲線的になった)形で描かれています。また、さらにゆるめられ、なだらかな波状となった模様は、顔の上に髪の毛としてさらに再現されます。眠る女性の「表情」は、それらの模様と同じ黒の線で、閉じた瞼と眉、横顔の輪郭線が簡易に引かれただけでしめされています。


注目すべきは「色彩の画家」と呼ばれるマチスが、この作品においては強い主張をもつ色彩である赤を画面周辺に追いやり、面積的にも乏しい部分で使っており、逆に画面上もっとも大きなボリュームとなる逆Uの字の部分を白で描いているところです。また、その白い面(女性の上半身を覆う服)の上の幾何学模様は黒で描かれ、大きな色面で骨格が作られたこの絵の中で、ひときわ違う調子を持ちます。


たっぷりと豊かな(でっぱる)曲線で囲われた白と、凹む曲線で囲われた紫、リズミカルなバーミリオンの顔・左手・右手の配置、もっとも周辺にありながら(それ故に)強い調子をもつ赤、それらの色面の重なり合いと関係性から位相を異にする黒い線の幾何学模様と、その直線的な幾何学模様を徐々にゆるめながら反復する女性の身体的特長、すなわち髪の毛と眠る表情(目と眉と横顔の輪郭線)。一見シンプルなこの絵が、極めて多層的て複雑な要素のかかわり合いによって成り立っていることが、少し注意して見るだけで把握できます。マチスがこの絵で試みているのは、通俗的な意味での「色彩のハーモニー」などではなく、色彩を含めた多くの要素を「関係」させることです。


隣合ったもの、離れたもの、性質の違うもの、似ていながらズレたもの、対立するもの。様々な要素が様々に関わりあい、呼応しながら1つの画面となってる様は、何か一つの「世界」、あるいは「社会」のようにも感じられます。同時に展示されている制作過程を撮った写真では、この「世界」が、長い時間をかけて様々な段階を経ながら徐々に構築されていったことがわかります。単に感覚的なものだけで描かれた作品では無いのです。また、マチスは「絵の悦び」も忘れることはありません。むしろ意志的な構築が悦びを産み、喜びが次の思考を促すような絵画が、マチスの作品なのだと思えました。


マチス