榎倉康二展その1(?)

ギャラリー21+葉と池田美術で榎倉康二展を見て来ました。1995年に亡くなった、もの派と規定される作家の一人だった人です。一番重要なMOTの榎倉康二展をまだ見てないんで、軽く感じたことをメモ。

各会場に展示されているのは以下のような作品です。

●ギャラリー21+葉

  • 3枚の綿布を縫い合わせた上に黒い塗料が大きく塗布され、壁面に直にガン・タッカーで張られている作品。
  • また、その作品のアイディア・スケッチ、及び類似の構想の作品のスケッチ。
  • 大判の紙の向かって左半分に廃油の染みがあり、隙間をおいて右半分にパステルで黒い色面が塗られた作品。
  • ベニヤ板/あるいは紙にボイル油で染みのような形がシルクスクリーンで刷られた作品。

●池田美術

  • 21+葉同様に3枚の綿布を縫い合わせ、木材の表面を褐色の塗料で刷り取り、その周囲に染みがある作品(ただし、壁面に直に張られるのではなく、パネルに張られています)。
  • 額装された和紙のような紙に長方形がシルクスクリ−ンで刷られた作品(やはりその形態の周囲に染みがあります)
  • 額装された紙に油の飛沫がある作品。
  • 壁にブルーグレーのカーテンがかけられ、そこに油の染みが3つ大きくある作品(カーテンの向こうに窓はない)。
  • また、この作品のアイディアスケッチ。
  • 他には銅版画、シルクスクリーンの中判/小判の作品が多数スクラップされてる。


特徴的なのは、基底材が「真っ白」な作品はほとんど無い、という事です。両会場で最も大きな綿布の作品は、漂白されていない生成の布が使われています。シルクが刷られている紙はボール紙や和紙であり、やはり色がついています。ベニヤ板は当然木材の色をしており、カーテンはブル−グレ−の布が使われています。
ただし、アイディアスケッチの紙が色付いているのは、経年劣化によるものか元から色がある紙だったのかの判断がつきません。また、池田美術でスクラップされている小品に、唯一地がなく全面に黒い図が描かれ、中にビビットな赤が使われている作品があることは注記しておきます。いずれにせよ、作品として提出されたものの大部分に、背景に(素材の)色があることは確かといえるでしょう。


地が真っ白な上に図がある場合に比べ、地に色があると図とのコントラストがゆるやかになります。また、これもどの作品にも共通していますが、図にほとんど色彩がなく、地の素材の色からの断絶がありません。その結果、地が図から切り離されず、図の延長として地があるように感じられます。


今回の榎倉康二展の作品群では地と図の連続/一体化が目指されています。よく言及される「染み」も、図と地の間に段階的な階調として現れ、地にどこまでも溶け込む図というものを形成します。地が「世界」であり、図が「個物」であるならば、いわば世界と個物の連続性の回復、世界と主体の一体感の回復を成り立たせているとも言えます。和紙は原料の植物の繊維がはっきりと確認でき、そういった要素に「人工的な作品」と、その背景をなす「世界」を切り分けずにつながりを保とうとする指向も見ることができます。


では、榎倉氏の作品には、背景・図・作家、更には観客の浸透=一体化「だけ」があるのでしょうか。そうとは言い切れない要素があるように思えます。単にゆるい親和性だけではない、ある種の「切断面」が、榎倉氏の「操作」から感じ取ることができます。この2会場の作品に限っては、「版」の多用がその「切断面」を形成していると言えます。単純に言って、作家の基底材への働きかけが版によって仲立ちされることによって、作品は作家(の身体)から切り離されます。同時に、現れたニュートラルな表面を持つ像は、観客が作品に対して自己の身体感覚を単純に投影することを阻み、作品と観客の間にも一度「切り離し」を行います。


繊細に地と図を連続させながら、しかし版・刷り取りによってその「一体感」をすっぱりと切断し、その切断面を見せる技量の鮮やかさ。榎倉氏の作品にある「浸透する感覚を鋭利に切り取られる」という印象を与える構造は、版を使っていない作品にも現れていると思えます。ギャラリー21+葉で展示されている縫い合された綿布に黒い塗料が塗布されている作品には「描いた」痕跡は残されず、フラットな塗料が、これもまったく手技を感じさせない操作によって、生成の布に浸透しているように見せられています。手の痕跡が残されているのは、紙の左半分に廃油の染みがあり、隙間をおいて右半分にパステルで黒い色面が作られている作品ですが、このパステルによる狭いグラデ−ション幅も、機械的なクロスタッチで極力「ストローク」「タッチ」を抑圧する仕方で作られており、上記の構造からのズレは小さいと言えます。


この、浸透/しかし切断、という不調和が、ギリギリの繊細さで提示されているところが、果たしてポジティブな意義を持つのかどうか。「カメラ」という「仲立ち」を挟んだ写真作品や、その他の多くの作品が展示されている(らしい)東京都現代美術館の榎倉康二展を見るまで、しばらく保留したいと思います。


今のところではありますが、単純に「不在を見せることで、逆にその''存在''を強く暗示する」「絵画性の抑圧が、逆にある種の絵画性を再帰させている」という(否定的側面)だけではない可能性も、あるように思えます。


ちなみに、鎌倉画廊のパンフレットに峯村敏明氏が1986年に記した「もの派とはなんであったか」が以下のURLで読むことができます。この論述を全面的に肯定するのではなくとも、少なくとも事前に踏まえる事が必要なものだと言えます。誤入力もありますが、今web上でこの文章が読めるのは素晴らしいです。

●榎倉康二展 『染み』 が描かれるようになったわけ

関連情報
●榎倉康二展

●榎倉康二「写真によるメモ」