造形大学美術館で行われている「造形現代芸術家展 REALITY CHECK」の今澤正氏の作品「不在」について。


縦150cm×横185cmのキャンバスに油彩で描かれている。画面は左辺と上辺に接してグレーの色面、右辺に接してターコイズブルー(緑がかった青)、下辺に接してややグレー味を帯びた青、それらに囲まれた画面中央上よりに明るい水色の色面があり、計4つの色面に分割されている。中央の水色の色面は上部のグレーに対してゆるやかな放物線を描いて接している。それ以外の色面は全て直線で接している。右のターコイズブルーと下のグレー味を帯びた青の接線は右下から左上へと伸びる傾いた線で接する。全体にこの斜の線が画面中央上よりにある水色の色面の中で消失する遠近法の線と知覚され、また左辺と上辺に接するグレーの色面が上部でアーチを描くことから、このグレーの色面が「手前」にある遮蔽物=観客に正対する壁と感じられ、下辺の色面が「床」に、ターコイズブルーの色面が画面中央に伸びてゆく「側壁」に感じられる。残された中央の水色の色面は、一番奥にある「壁」とも、「外」に向かって開口された「窓」とも感じられる。


一見単純化された室内空間のように見えるこの4つの色面の位置は、しかしその接線だけを析出することで「単純」に見えるのであり、その色彩や様々な要素を勘案すると簡単にその位置を決めることができない。接線の関係では「手前」に見えるグレーは彩度が低いため色面全体ではむしろ奥に沈み込む。明度・彩度が最も高い中程の水色は手前に飛び出して来る。また画面の光沢も慎重に調整されており、最も光沢が強いのは彩度の低いグレーで、以下右ターコイズブルー、下の青の順で、中の「飛び出す」水色はほぼマットであり、光沢だけ取り出せば各色面の位置関係は再々度逆になっている。


更に各色面の接し方がこの作品の印象を複雑にしている。全ての接線はマスキング等による機械的な処理で成り立っているわけではない。平滑に塗られた色面は他の色面と接する所だけ微妙に光沢が変化しており、この一見シンプルな接線が、手作業によって何度も引き直されていることがわかる。この接線に見られる「表情」は、強いマチエールや調子の変化が押さえられた画面の中で際立っており、作品の在り方を規定する大きな要素となっている。


今澤正氏の作品「不在」は、物理的には滑らかな表面を持ちながら、しかしその色彩が微妙な「ふくらみ」を持っているように感じられる。これは純然たる知覚上の効果で、それは上記のような色面どうしの接する箇所の処置や明度・彩度を各色面間で極端に近付け、その境界がどのようになっているのかが一見しただけでは判然と了解できないという点、考え抜かれた光沢が与えられていることによって各色面の「塗料」としての質感が有機的に立ち現れていることなどによる。この事は実際に作品の前に立ってみなければ分からない事で、いかに精細な図版を目にしても、決して再現することのできないものだ。


ことにその「塗料=絵の具」の扱われ方は類をみない。光沢の調整や色彩の調合に加え、粘度のコントロールと描く所作がその質を決定している。キャンバスの目をところどころ見せながら滑らかに積み重ねられた絵の具は、各色面間の関係性と相まって、あふれだしそうな「ふくらみ」を感じさせるのだ。これはフェルメールのように、絵の具を粒子的に扱う画家ともゴッホのように絵の具の物質性を表にだしながら扱う画家とも違う。いわば半流動体としての絵の具を、描く時のウエットな絵の具の新鮮さをそのままに完成作品に定着させるという今澤氏独特の扱い方と思える。キャンバス右側面には、青い絵の具層の下に赤い層が隠されていることが分かる痕跡がある。


色面の接線、明度、彩度、光沢、塗り、マチエール等を相互に関係させ、発生させる視覚効果は徹底した技術と意志によるもので、丁寧な構築がその絵の具=色彩を抽象的な在り方へと変換している。その抽象性は観客に働きかけ、その作品が「何を描いているか」を容易に理解させながら(室内空間や階段が描いてある、という認識は容易だ)、しかしその作品が「どのように在るのか」を理解するには何度も絵を見直さなければならないという不思議な状況に立ち至らせる。そしてくり返し作品を見直す観客は、ついにその全体を一挙に把握できるポイントを掴むことができない。今澤正氏の作品の魅力は、その足場を揺るがされるような作品が、どこか肯定的なニュアンスに基づいているからだと言いたくなるが、この点は各観客に委ねる他は無い。


●造形現代芸術家展 REALITY CHECK