もう終わってしまった展覧会ですが、国立近代美術館のゴッホ展を見て来ました。今回は「ドービニーの庭」を中心に話しを進めます。カタログによれば、「ドービニーの庭」は1890年制作です。縦53cm×横104cmのキャンバスに、油絵の具で描かれています。


画面右下方1/4強の所から、ゆるやかな弧を描いて画面左半分よりやや高いところまで緑草に覆われた地面が描かれています。中央にはバラの花壇があります。地面の描く弧の先、画面左端の真ん中から上に樹木の葉が丸い形態をいくつか繋げるようなタッチで描かれています。その木の下には明るい水色の色面があり、池のようにも思えます。画面右隅には白い塀とそれに続く柵が描かれ、その上に描かれた葉に覆われた樹木は画面ほぼ中央まで連続してゆき、全体に横に倒れた細長い三角形の帯となって中景をなしています。その連なる樹木の先にはベンチと椅子があり、ベンチには帽子をかぶった人物が座っている様子が描かれています。


画面中央の上1/3の位置には建物が正対して描かれています。水平に白い壁面とその中にやや淡い緑の縦長の窓が4つ描かれ、その上には緑の絵の具がやはり水平に引かれていて屋根を表しています。この壁が純白に近く、硬質かつフラットに置かれていることは、画面に充満するうねる緑を対比によって鮮やかに見せるための意図的なものと思えます。その更に上には紫の壁面に3つ窓をもち、上に褐色のひさしと青・白の屋根をもった小さな上層部の構造物があります。


この建物の右手、白い塀と柵の向こうにある樹木の上には左から右に向かって奥行きを持つ、三角の屋根と垂直の塔を持った建物が描かれ、この部分が遠景をなしています。画面上端は右隅から塔をもった建物、白い壁面の建物の上を通って画面左の丸い形態をもった樹木に至るまで白をまぜたくすんだ青によって空が描かれています。画面左下には黄色を僅かに含んだ白の中にターコイズブルーと黄土色の斑点をもった色面が、うねりを見せながら左方向へ伸びる道として描かれています。この左下隅の明るい色面も、広がる緑を際立たせる効果を持っています。


画面下隅から上方へ地面が伸び、全体に緑の草木に覆われ、その草木に地面との接地点が隠された状態で中央やや上に建築物が覗き、上の辺に狭い幅で左右に空が伸びるという構図は、ポーラ美術館のセザンヌの「プロバンスの風景」(1879-1882制作)と、左右を反転させた形で共通しています(参考:id:eyck:20050502)。*1


また、画題に明らかなように、この絵は先行するバルビゾン派の画家ドービニーを念頭において制作されています。単にゴッホが敬愛するドービニーの未亡人が住む家と庭を描いたという主題上の事にとどまらず、例えばその草木の表現は、この展覧会に同時に出品されたドービニーの「荒天の麦畑」の下1/3に見られる草地の表現と共通性が見られます。このドービニーの作品は、同じく今回展示された「夜明けの羊舎」に比べて鮮やかな緑の色彩が使われています。横長の画面もドービニーの影響であることが理解できます。


ゴッホを「孤独な画家」という通俗的イメージから救い出し、他の先行する、あるいは同時代の画家との関連性の中でみようとする視点は、今回の国立近代美術館のゴッホ展を構成する主要なテーマと言えます。色をまぜず斑点上に置き、鮮やかさを保つ技法はシニャック*2をはじめとする新印象主義の作品に基づくことはよく言われることですが、緻密な色彩分解を目指した点描ではなく、絵の具の物質感を表したタッチはモンティセリ*3、またピサロ*4との関連性がみてとれます。


ただし、そういった事は、自らの条件に自覚的な画家であればある程度は共通している筈です。ゴッホに関しては、その「孤独」なイメージを払拭するだけでなく、さらに踏み込んで、形式的な絵画研究者としての側面も強調されるべきと思えます。やはり今回の展覧会で見られたミレー*5やドラロワ*6の、模写というよりはモノクロ版画の色彩画への変換作業などからもはっきり分かると思うのですが、ゴッホはこの展覧会のコンセプト、つまり「他の画家との関連性の中にある」という事態を超えて、いわば「絵画についての絵画」をことに晩年、徹底的に追求した画家だと思えます。


展示会場では状況が悪く(混雑が酷すぎました)明瞭には確認できませんでしたが、この「ドービニーの庭」の左辺を除く三辺は狭い幅で明らかに色調・タッチに画面内部と差があり、ある種の「縁取り」がされています。画面隅の「塗り残し」は、後年のモネなどにも見られますが、このゴッホの「ドービニーの庭」での「縁取り」は、ほとんど「絵の具による額装」のように感じ取れます。極端な言い方をすれば、絵の中の絵のような構造が感じとれるのです。こういったことは、日本の浮世絵とまとめて展示された「花魁(渓斎英泉による)」でも行われています。


自らの過去のリトグラフを油彩に描き直しているものも出品されていましたし、また「ドービニーの庭」にみられる右下から左上方へむけて伸びる構造を持った作品は、「葡萄園とオーヴェールの眺め」(今回は未出品)でも試みられています。そもそもこの「ドービニーの庭」自体が、ほぼ同じ構図でもう1点描かれています(こちらも今回は未出品)。単に他の画家の作品を見ていただけでなく、「自分の手で実際に繰り返し描く」ことで絵画の構造を学び、さらに自作についても反復しながら「絵画とは何か」を探求していったゴッホの分析的な手つきは、来館者数に比例する程には十分に語られていないのではないでしょうか。


この「ドービニーの庭」は、ひろしま美術館のコレクションです。ひろしま美術館のサイトは以下。

常設されているとの事ですが、事前に電話などで確認した方が無難かもしれません。

*1:「(左から右に)傾く三角形状の対象を有する描き方ならば、印象主義とその周辺の絵画に認められる」という指摘は、藤枝晃雄氏によってなされています。

*2:ポルトリューの灯台」が出品されています

*3:同様に「花束」が出品

*4:「牡丹とバイカウツギ」が出品

*5:「夜」のラヴェエイユによる木口木版画コピー

*6:ピエタ」のナンテュイユによるリトグラフ・コピー