雑記:箱を作る。

家のMacのモニターが死んだ。どうも画面がブレる、ブラックアウトするなーと思っていたら、先日御臨終。経過から見て、コネクタ部が怪しそう。CRTモニタなんぞ、今時うざったいだけなのだが捨てるのも面倒だし新たに買うよりは安いので修理にだすことにした。引き取りサービス+代替機サービスがあるのはいいねぇnanao。


で、梱包用の箱が必要なのだが家中ひっくりかえしても見つからない。発泡スチロールの緩衝剤はあるのに、箱だけない。謎。ミステリ−。しかし、箱があるという前提で引き取りをお願いしたため、気づけば業者が来るまでに1時間もなくなっていた。で、しかたがないので自分で箱を作ることにした。


以前特注で作った版画用の額の箱が段ボールなので、これをバラす。130cm×70cm×5cmの箱だから、角を開いて緩衝剤の幅で切ったものを4枚用意。全てコの字に折ってモニタ+緩衝剤を包むように組み合せ、ガムテで各辺をくっつけ補強して完成。ふう。


と、このように「ないものは作る」という発想がすぐ出て来るのが演劇やったり絵描いてたりする人間の特長かもしれないが、ここで大事なのは「作るよか買った方が遥かに良いこともある」ということ。


パネルだの箱だの腐蝕バットだの芝居小屋だの、いろいろ自作してみると分かるのだが、既製品の頑丈さとか廉価さとか使い勝手のよさというのは、時に凄いものがある。僕が自作を必要とするのは、主に「大きさ」「代金」がネックになるものだけど、こういうのはいざ作ると「あ、ここが弱点になるな」というのが後からわかったりして、それのフォローが大変だし仕上がりがスマートじゃなくなる(スマートさというのは、見てくれの問題以上に強度、安定性にかかわるのだ)。気づくと材料代+手間が想定以上にかかったりする。


だから僕は、既製品で済むものなら既製品で済ます。既製品にはその背後に膨大な「労働者と消費者の経験値」が詰め込まれていて、大抵のトラブルや状況に耐えられる作りになってる。もちろんイレギュラーな事態、サイズetcに対応する必要がある時は、よいこらっと自作する。でも、その時も既製品の構造というのは参照する。ばかにならないのが「時間」で、多少安く自作できても、それに注ぎ込んだ時間を考えるなら、売ってるものなら買ったほうがトータルで得と思えることがある。


お金とか、市場にない大きさのものが必要になる、という現実に迫られて「自作派」になった僕は、だからぜんぜん「自作」にこだわらない。優先したいことは他にある。で、その目的に合致するのが自作だと判断した時だけ、いろいろ作る。この優先順位を間違えると、場合によってはエライ事になってしまったりするのだ。


で、うっすら心配だったのが自作のモニター梱包箱の強度なんだけど、業者さんと一緒に階段降りて外のトラックまで運んだ感覚からすると、多分平気。早く返ってこーい。