南天子画廊で行われている中村一美展では、中村氏の新作絵画を見ることができます。今回は「存在の鳥IV」と題された作品について書きます。


木わくに張られた綿布に油彩で描かれた作品です。大きさは縦230cm×横194.2cmです。全体に植物を思わせる曲線と色面が特徴的です。画面左上に濃い黄色で上に向かってせりあがって行く弧があり、その弧は上辺に接したところで内側に巻き込まれて行くように反転し、画面左端まで帰ってゆきます。その帰ってゆく弧の途中から別の弧が分岐し、うねりを見せながら右下へ伸びて行きます。この分岐した黄色の弧には上から緑の弧が重ねられ、下の黄色や並んで置かれた白と混ざり合いながらやはり内へと巻き込むような動きを見せます。


画面下の左辺からは同様に黄色の弧が伸びて画面下辺に接しながら渦を巻き、やはり上から白と混ざり合った緑がその渦巻きを繰り返しています。この画面を大きく分ける上方と右下の黄色の線に挟まれた画面の中程の大きな面が主に明るいレモン色の縦の大振りなタッチで覆われ、外の上の面は薄く溶かれた暗い紫色によって、画面左下の狭いコーナーが緑と青が重ねられた色彩で埋められています。


画面左上の、せりあがりながら上辺に接して再び左辺に帰っていく線からは、黄土色の線でそこから垂れ下がるような房、あるいは葉のような形象が3つ並んで描かれ、それぞれの中央には茶色のタッチが置かれています。途中から分岐して右下に伸びて行く線からも、葉か房のようなものが更に分岐して画面中を縦に伸びてゆき、画面下の渦巻きに接したり、その渦巻きのカーブとを反復するような緑の弧となったりします。この緑の弧は、先述の画面上から右下に伸びて行く緑にも呼応しています。


弧や渦巻きを描きながら全体に左から右へと運動してゆく線によって植物をイメージさせる形が描かれ、その「間」を縦の大きなタッチが覆って行きます。絵の具は極めて分厚いタッチと薄く溶いた部分とのボリューム感の差が激しく、一部には綿布の地がそのまま覗いた白い面もあります。絵の具にはメデュームが多様に混ぜられ、ことに濃い黄色は透明度を増すためのメデュームが大量なため伸縮を見せ、半透明の膜のような層の表面にはちりめん皺が発生しています。所々にたっぷりと置かれた白は周辺の色彩と微妙に混ざり合いながらクリーミーな印象を産み、バニラクリームや乳製品のような、食欲・味覚を喚起させるようなツヤを持っています。


「存在の鳥IV」は、「垂れ下がる」ことが主題となっている作品のように思えます。葉あるいは植物の房の「垂れ下がり」を示すストロークの分厚い絵の具自体が「垂れ下がって」おり、その「垂れ下がる」動きは画面を横に進むようにしながら下方に向かい、再び頭をもたげながらも改めて下に向かううねりによって、単線的に真下に引かれる線よりもかえって「垂れ下がる」印象を増しています。そして、この上昇しようとしながらも垂れ下がっていくという、水平方向の抵抗を突破しようとしながら進む動きに質を与えているのは、壁面にかかった画面あるいはそれを見る視線の「垂直方向」に加えられた力だと思えます。具体的には、絵の具が軽やかに画面上を滑っていくのでも、絵の具の濃度の低さによって自然に綿布に染み込んでいくのでもなく、ある濃度をもった絵の具がぐっと画面に垂直に押さえ込まれていることが、絵の具そのものに抵抗感を与えているのだと思えます。


「存在の鳥IV」は「壁面」にある絵画であることを強く意識された作品だとも言えます。ポロック以降の、基底材が床に水平に置かれて上から絵の具がもたらされるデスクトップ式の絵画ではなく、制作時から壁にかけられ、正面から絵の具がもたらされることによって濃度の低い、あるいはボリュームが過剰な絵の具は「垂れ下がる」ことになります。また、中村氏の作品で様々に変化する絵の具の「半流動体性」は、滑ることでも自然に染み込むことでもなく、ある力を加えられることによって、鮮やかに浮かび上がっていると感じられます。様々な濃度を持った絵の具が押さえ込まれながら、その力によって盛り上がりや他の絵の具と混ざり合いをおこし、薄さ、或いは分厚さのコントラストと相まって、「半流動体」である絵の具の新鮮さが堅固に定着されています。この「存在の鳥IV」は、近年の中村氏の一連の作品の中でも、高い達成を示している作品だと思えました。


中村一美展