東京芸大陳列館に「マヴォ/メルツ クルト・シュヴィッタース村山知義」〜日本におけるダダ展を終了ギリギリに見に行ったのだが、展示物はささやかなパンフレットや出版物が中心で、やや展示に苦労しているような印象があった。しかしつまらなかったわけではなくて、会場にCDラジカセ(懐かしい響き)からKURT SCHWITTERSの"Die Sonate In Urlauten"が流され響き渡り、壁面には展示ケースの中の写真や印刷物がやたらと大きく拡大されて掛けられ、全体になんとも言い様のない「まぬけ」な感じがして、それがなんだかネガティブな印象ではなくユーモラスな雰囲気になっていた。


この「まぬけ」で「ユーモラス」な感じは何も展示のささやかさだけによるのではなく、9ヵ月のドイツ滞在で得た構成主義・ダダという知見を、急ごしらえで文脈の違う日本に輸入していきなり「マヴォイスト」なるマニフェストを出した村山知義周辺の性急ぶりに起因しているのだと思う。一番ズレて見えるのは印刷物で*1、アルファベットのつらなりをゴシック体で「構成」して見せてゆくドイツのメルツのパンフレット*2は1色刷りの効果と相まって決まって見えるのだけど、同じような事を日本語で、しかも妙な曲線まじりの(明朝、というのでもない)*3ロゴ・書体でやるとどうしても決まらない。パンフレットの内容や表紙写真の作者名は妙に律儀に普通に漢字かなまじり文で書いていたりするのが、余計に可笑しい。漢字は表意文字で、1文字だけ取り出しても意味をもっているから、AとかTとかいった記号だけが視覚的に飛び込んできてそのまとまりが初めて意味を持つドイツ語のアルファベットのみのストイックな紙面にくらべると、どうにも重く雑多になってしまい、結果的に珍妙なことになっている。


もちろん、現代の優秀なタイポグラファーは、かな・漢字を図形に解体して再構成し、軽やかなロゴデザインをある程度は成立させているから、日本語では絶対できないことだったとは言えない。現代のタイポグラフにはしっかり情報や知識に基づいた試行錯誤があるわけで、マヴォの珍妙さは、そういった「しっかりした」仕事ではなく、「珍しいからやっちゃえやっちゃえ」的な、やっつけ仕事だという所に原因があるといえる気がする。なにしろマヴォの宣言なるものが、一見しかめっつらそうな文言ながらその内容はグダグダで、芸術の先端であることを表明しながら別に各自の指向は一致しないとか、確固としたマヴォイストの基準はないとか、公募展やるけど審査は自分達に一任してもらうから許してねとか、寄付下さいよその代わりの優待制度は展覧会のタダ券ねとか、どこまでマジでどこまでがギャグなのかが分からない。大正という時代の空気が少しだけわかるような気がする展覧会だった。


村山らマヴォが一番力を入れていたと思えるのが演劇で、パンフレットと演劇という柱がマヴォのパフォーマンス的・メディア的(騒がせ好き)性格を表していると思える。ドイツ表現主義のゲオルク・カイザーの芝居「朝から夜中まで」の舞台美術模型は今回のマヴォ展で唯一の造形物であり目をひいたのだけれど、船あるいは甲板上をイメージしたらしい白黒の構造物は細かいレベル(階層)分けと空間の分節がされていて、ここでは恐らく「役者の自由な身体の動き」なんてものは見る事ができず、細分化された場所に出て来た役者はそこで台詞をつったって言うしかないだろうと思える程「コンセプト/台本先行」のものだった。


ここでも先述の「可笑しみ」は存分に現れていて、舞台のあちこちに子供の描いたような魚マークが描かれている。更に舞台の上方から黒い箱が数カ所置かれていて、そこにはそれぞれ「朝」「から」「夜中」「迄」とある。正面には黒十字がありその向かって右上には「ぜらにゅーむ」と意味不明の文字が書かれたカンバンがある*4。どこをどうとっても吉田戦車的としかいいようがない。


恐らく村山は、自分達が「珍妙」であることをある程度意識していたのじゃないかと思うのだけど、最初海外からの「優位な文化に常に岸辺を洗われ続け、嵐にふきまくられて実感の薄いまま高度な文化を受け入れざるをえない*5」後、その「掘建て小屋」を更に模倣していくという「国内のフォロワー」というのが日本の「輸入品」には伝統的について回って、その国内的影響関係の中では、そういった感覚は消えているんじゃないだろうか。例えば1960年代から出て来た「ネオダダ」の、寺山修司天井桟敷の水兵+手旗信号とかは、おもいっきりマヴォ後、といえる物だと思う。けれど、この頃には既に村山が持っていたアイロニーが消えていて、「なんとなくダダっぽい」という事だけで、村山達のやっつけ仕事を大まじめに後追いしてしまうという、笑うに笑えない事になっていった気がする*6


そういう、内部的で珍妙なニッポンをある程度突き詰めたところから、土方巽暗黒舞踏とか横尾忠則とかが出て来たのかもしれないけれど、それはやっぱり言葉の本来の意味で倒錯と言うべきもので、自らの立ち位置にアイロニーだけは確保していた村山知義の、恐らく意識的な「やっつけ仕事」の軽快さとは峻別して見るべきだと思う。

*1:ということは会場にあるほとんど全てのものがズレているということだけれども

*2:参照:http://www.uclm.es/artesonoro/K.SCHWITTERS/html/merz.html

*3:参照:http://www.art.pref.tochigi.jp/jp/exhibition/backnumber/030209-images/i-03.jpg

*4:参照:http://www.sainet.or.jp/~junkk/mavo/asakara.jpg

*5:吉本隆明

*6:そしてもちろん、こういう事態から今の自分が自由でいられるわけではまったくない、というところが問題なのだ