昨日のテレビで横浜トリエンナーレを取り上げていて、そこで総合監修をしている川俣正氏が話していたのは「アバンギャルド」でも「世界水準の(商品になる)アート見本市」とかでもない「手作り・自前作戦」とも言えるような感じで、準備期間が足りないことを逆手にとって「会期が始まっても作り続けてる作品」とか「観客とコミュニケーションをはかるための道具としての似顔絵」とか、中国の物故作家の資本主義批判インスタレーションとかが列挙されていた。これらの作家の選択だけでなく、個別の作品の成立過程に川俣氏は大なり小なり自分の足を使って関わっているらしい事が描かれていたのだが、そこで川俣氏が言っていたのは「キュレーターのまねをしてもしょうがない」というようなことで、とても素朴な意味での「作家主義」みたいなことだった。


ぶっちゃけて言えば、二転三転して会期が1年先送りされ、ようやく決まったアタマの磯崎新氏が辞任して本当にまったなしのギリギリの段階で川俣氏が引受けた時には、新しいコンセプトも壮大なイベントもしかける余裕はなくなっていたのだろうし、そんなところで「作家」である川俣氏は、「作るしかないじゃないか」という地点に追い込まれていたのだろう。だから「主義」でも「作戦(戦略)」でもなく、どちらかといえば「(作家の)条件」が露呈しているのかもしれない。そしてまさに、多くの作家が参加しているこの大きな美術イベント全体が、まるで川俣氏が長年作り続けている仮設っぽい構造物による空間/関係の変容といった「作品」に見えてきそうな感じなのだ。


振り返ってみれば、磯崎氏の「暴走」は、超高層ビルが事前に希望されていた新都庁案であえて非・超高層プランを持ち出し、それが否認されることで、つまり実現しないことである構造を明示する、というような「悪意」と同じものに基づいていたとも思える。が、結果的に実現された新都庁の「世界水準のポストモダン・ハリボテ」を「東京の三大ゴミ建築」と揶揄したのと同じようにこの「作家の自前展覧会」である横浜トリエンナーレを侮蔑するわけには、ちょっといかないかもしれない。


川俣氏が「実現」した横浜トリエンナーレは、おそらく徹底して「悪意」を欠いている。そこには「手作り」という言葉に自動的にまとわりつく微温的な「善意」の気配も感じられて、もうものすごく知的で刺激的、というようなものではないのだろう。それは、例えば中華街の公園の東屋を「仮設」のホテルにしてしまうことで「公共空間と私的空間の反転」を行ったとかいう、一種のトンチの効いた「面白アート」の展示会、という感じになっているかもしれない。


いずれにせよ、まだ現場を見ていない僕には本来何も言うべき資格もないのだが、でもまさにその段階だからこそ感じられるのは、今回の横浜トリエンナーレには全体に極端な準備期間のなさの中で、とにかく作りつづける、それ以外の思想やコンセプトや「新しいもの」などは度外視して、ひたすら作りつづけるという川俣氏の、「悪意」でも「善意」でもない「無気味さ」みたいなものが、テレビを通した淡々とした語り口調から感じられて、ほとんど興味をなくし行われていることも忘ていた横浜トリエンナーレに「行ってみたくなってきた」という事なのだ。


こういう僕の感じ方は、他人から見れば「画家のお前が、作家の川俣氏の“作り手であることのこだわり”に勝手にシンパシーをもっているだけではないか」と見られるかもしれない。だがそれは全然逆で、あの膨大な作家とさらに膨大な関係者の利害や条件を「とにかく作りましょう」の一言で束ねた(のだろう)結果、国際的アートイベント全体を比喩でもなんでもなく、自らが行ってきた作品の延長にあるような「仮構物の出現」としてしまったのだとしたら、川俣氏という人はほとんど「バケモノ」みたいな存在として立ち現れてくる、という事で、なまじ自分が作り手であるからこそ、そこにはぞっとするような−「国際的アーティスト」なんて分かり易いものではない−異形の存在が感じられる。


批判にしろ賞賛にしろ、そのいずれでもないものにせよ、横浜トリエンナーレにある姿勢を持とうと思えば、とにかく見に行く、というのは最低限の基準なはずだ。下手をすると「横トリ」はもう二度と見られないのかもしれない、という可能性もある。少なくともよくわからない盛り上がりを見せていた愛知万博よりは「なんかありそう」という気配を漂わせていると思えた。別段肩に力を入れる必要もないだろうし、少しでも気になっている人がいるなら、足を運んでみてもいいんじゃないかなぁ、と思う。


横浜トリエンナーレ2005