いや、だから雑記だって。

昨日、個展会場のギャラリーからの帰りに古本屋に寄ったら、中沢けい「首都圏」が文庫で置いてあって、思わず買ってしまった。この本が文庫になっているのは知らなかった。電車の中で、ちょっと広げて、1ページさらりと眺めてみて、あぁ、と思いながら本を閉じた。この感慨には説明がいる。


僕が中沢けいを知ったのは、中学の時6つ上の姉の本棚にあった「海を感じる時」のハードカバーを手にとった時だった。当時僕は、姉の部屋にある少女マンガや小説を、よく(ちょっとした“背徳感”と共に)拝借しては読んでいた。平家だった家を無理に工事して2階建てにして、両親はその上の階を姉と僕に与えていたのだけど、2間はふすまだけで仕切られていて、僕の部屋からそのふすまをあけると姉の本棚の「裏」からマンガも小説も抜き取ることができた(姉は1回くらいからかっただけで、後は黙認してくれていた)。


最初から「海を感じる時」が衝撃的に心に残った、というわけではない。山岸外史「小説太宰治」や庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」、くらもちふさこ「いつもポケットにショパン」塩森恵子 「希林舘通り」なんかをずらずら読みながら、そこに1作品混ざっていたのが「海を感じる時」だったと思う。あの頃の、そういった時間は、今にして思えばなにかある種のフェミニンな体験だったのだろうか。それが原因かは分からないけれども、この、18才の少女が書いた小説を、僕はいつのまにかくり返し読んでいた。


高校の図書室で「水平線上にて」を見つけてからは、徐々にこの小説家のファンになっていった。明らかに「海を感じる時」の続編として読めたこの小説は、早熟だったのだろう作家の、最初のある到達だったと思いかえせる。高校時代に交差した主人公の少女-女性と二人の少年-青年の「その後」の出来事の連なりは、あくまで母と娘を描いていた「海を感じる時」よりも、ずっと生々しく17才の僕に感じられるべきだったのかもしれない。が、この本には不思議なくらいセクシャルな感触はなかった。僕は「現実」として描かれる、主人公と同棲する男への違和感・嫌悪感の描写や、主人公の「ありえた可能性」としてあるもうひとりの男のやや美しい描かれ方にひっかかることなく、ただただこの小説の文章に乗り、この本全体に自分が染込んでいくような感覚を得ながら、「水平線上にて」という作品が好きになっていった。


「ひとりでいるよ一羽の鳥が」「野ぶどうを摘む」「女ともだち」と読み進んだ僕は、大学に入るとエッセイ集「風の言葉 海の記憶」も当然読んだし、五木寛之が中心で森瑶子まで混ざっていたやや下品なサロン風トーク集も、中沢けいが参加しているというだけでハードカバーの新刊で買った。NHK教育テレビ「ETV8」が中沢けいの特集をした時は、しっかりビデオで録画して何度も見た。「最初は怒りで書いてた。それが次に焦りになり、いつの間にか疲労、というところに落ち着いた」というような中沢けいの発言が、いちいち心に残った。


そういった幸福な「ファン」時代に区切りをつけさせられたのが「静謐の日」と「喫水」だった。何が今までと違ったかというと、すらりと読みすすめられなかったのだ。この本が僕に与えた抵抗感は、最初、よく理由がわからなかった。しかし、やがてそれが「言葉」あるいは「文字」に著者が極めて意識的に取り組んでいる為だと気付いてからは、今度は今までとは違うハマリ方をした。とにかく一文字一句、しつこいくらいな読み込み方をした。当時版画ゼミに入っていた僕は、アトリエで、バスで、電車で、泊まり込んだ友人の部屋で、いつまでも読んだ。語尾をいやに長く引き延ばすような文体、「何ごとかを文字にする」ということに延々と抗うような、一見して朦朧とするようでありながら、しかし言葉に単純に流されないために徹底して言葉と向き合うという著者の明晰な意図が、物凄く面白かった。「お話」でも「心理描写」でも「感情」でもない、小説における「言葉/文字」と出会わされたのが、「喫水」だったのかもしれない。


このような中沢けいの「言葉」は、やがて短編集「曇り日を」でより一層緊密になった。造本の美しいこの本は、僕にとっては途中で読み続けられなくなった最初の1冊になった。何度トライしても、言葉に跳ね返されてしまうのだ。このことは結構ショックだった。大江も谷崎も川端も夏目も、吉本ばなな山田詠美長野まゆみも津島祐子も何でも読んでいたのに、あの「中沢けい」が読み終えられないなんて、というのは驚きだった。


そしてついに「首都圏」をみつけた。これは完全にお手上げだった。もう、1文字1文字が鉱物の結晶のような硬度をもっていて、どうにもこうにも歯がたたなかったのだ。1行を読むのに恐ろしく疲れる。つまらなくて投げ出す本などいくらでもあったが、この「首都圏」は違った。圧倒的な「文字」の密度、完璧にカッティングされたダイヤのような文章が、どうにも「読みすすめる」「読み終える」という事を僕に許してくれなかったのだ。その厳しさは視覚的なものだった。紙面が研摩されて鏡のようになった金属を思わせた。学生にとってけして安くはなかった厚みのあるハードカバーの「首都圏」をz分の部屋に置き去りにした僕は、それ以降中沢けいの本を読まなくなった。


その後、書店で「楽譜帳 女友達それから」「楽隊のうさぎ」とかを見かけても、手にはとらなかった。僕にとって中沢けいは、「首都圏」で凍り付いたままで、新刊のタイトルからなんとなく感じ取れる作家の試行錯誤の変化も、とにかく「首都圏」を読むことができないままには、知ってはいけない感じがした。


で、そこから10年たっての「首都圏」再会である。だいたい、こんなマニアックな(だと思う)本が、文庫に入っていたというのが驚きだった。ハードカバーが出た時は僕は「絶対この作家は一生売れっ子にはならないつもりなのだ」と勝手に決めつけていたけれども、案外読まれていたのだろうか?僕の思い込み(ファンというのはそういうものでしょう)を他所に、中沢けいは、その小説は、その文章は、ずっと入り口が広かったのだろうか。


とにかく、思わず買ってしまってから、少しページを開けてみると、なんだか「読めそう」な気がしてしまったのだ。これはまた、違う意味でびびる感じがした。あれだけ「読めない」と思い詰めていた本が「読みすすめられる」としたら、それはそれで辛さを味わいそうな気がした。誤解されると困るのだが「案外たいしたことなさそう」と感じているのでは全くない。多分、僕が今この本と再会したのは「時間」がキーになっていると思う。僕は10代後半から20代最初にかけて、中沢けいを「追っかける」ことが出来たのが、「曇り日を」「首都圏」で中沢けいに振り切られたのだろう。30代になって、ようやく僕は中沢けいの文章に再会した。これはもう一つの誤解を生むかもしれない。ある「年令」になったから(人生経験を積んだから?)、「首都圏」が読めそうだ、という話しではない。僕が恐いのは、今「首都圏」が読めたとしても、それは、「水平線上にて」や「喫水」を読んでいた頃のような「切実さ」をパージしてしまった上でのことではないか、と思うのだ。つまり、読める、ということは、改めて読めなくなった=読めないという事に立ち会えなくなった、という事を意味してしまうのではないか。


どのみち、まだ僕はこの文庫の「首都圏」を読んでいない。どのようにこの本が今、「読める」のか「読めない」のか、もう少し本を開くのに時間がかかるかもしれない。