国立西洋美術館/小企画展「ローマの景観:ピラネージのまなざし」について。


18世紀イタリアの画家であり建築家のピラネージによる古代建築の銅版画展。いくつかの連作に分けられた、40枚以上の作品が出品されているが、とりあえずはシビッラの神殿を描いた2点について書く。共に1761年に描かれ、技法的にはエッチングとドライポイント、エングレービングが使われている。銅版画としてはかなりのサイズがある。


インクは黒1色で、油膜による操作もなく、ほとんどのトーンが製版されており、しっかりとした刷りとなっている。主題となる古代ローマ建築と近景の建物や人物はエッチングで製版され、空および雲はエングレービング、ドライポイントで製版されている。ドライポイントなどは、かなりの枚数を刷ることが予定されていたであろうこの作品ではかなり慎重に使われていたと想像できる。


展示順で先行している「シビッラの神殿、ティヴィオリ」は、シビッラ神殿をほぼ正面から捉えている。中景として半円を描くローマ神殿が見上げられるようにしてあり、右手前景に影になる別の建物がある。その建物の上には小さく「2」とアラビア数字が振られている。さらに手前には人物の姿が小さく描かれている。そのスケール感はかなり強調され、広角レンズで捉えたように古代建築の巨大さが演出されている。画面下は帯状に残され、そこにイタリア語で説明が書かれている。


次にある「シビッラの神殿、ティヴィオリ(下部構造を含む)」は、同じ建物を側面から描いたもので、円型神殿の後背半分が崩壊していることがわかる。シビッラ神殿には台地様の土台部分があり、この側面図はそれも図示している。


一見して、主題となる古代遺跡に腐食技法であるエッチングが使われていることが注目に値する。つまり、やや柔らかみがあり酸によって金属板が時間をかけ溶かされることによって生成する線を積み重ねることで「積み重ねられた石の廃虚」を描き出すという、主題と技法の一致がみられる。おそらくピラネージの活動時期は、水彩画風表現を可能にしたアクアチントの発明直前かと思われるが、ピラネージの、腐食技法によるハッチングの集積でローマの古代遺構を描くという技術上の特性は、明らかにこの作家の精神的姿勢としてある。


言い方を変えれば、金属が酸によって「崩れていく」ことで成り立っている線を1本1本丁寧に組み立てていくことが、精緻な石造建築の長い時間による荒廃を描き出すことになるこの版画の構造は、当時の印刷物というメディア的・史料的意味合いを超えてピラネージの作品の思想となり画面を支えている。そのことは、同様の技法でモッレ橋を描いたヤン・ポト(同じ会場に展示)との対比でも明らかだと言える。


石の傷跡や、そこに芽吹き繁殖する植物まで描くことで、ピラネージの作品は「崩れたもの」にフォーカスを当てる。また、一般に垂直の柱を描くとき、ニードルの線を垂直に走らせた方が建物の動きや構造を確固として捉えることができるが、ピラネージは安易に長い垂直線を引くことなく、短い横のタッチを多く用い、補助的に縦の、これも短いタッチを用いる。このことで、崩れた石造建築の微妙な不安定感と同時に、「石が積み重ねられることで垂直なものを作り上げている」建築物の構造的本質まで描くことに成功している。


この作家の、エッチングによる線を主題である古代遺構の描出に用いるという効果をよりダイナミックなものにしているのは、遠景の空および雲が、酸による腐食を用いず金属板を直接彫るエングレービングおよびドライポイントで描かれている事によると思える。ビュランと呼ばれる、いくつかの刃を平行に並べた彫刻刀で水平に平行線を描くことで空は淡いグレーとして表現されており、雲の輪郭の曲線も、ドライポイントによる線で描かれる。


直刻技法であるエングレービングあるいはドライポイントは、腐食による線よりもシャープで硬質であり、この線の性質の差が「過去」に属する古代の廃虚と「現在」に属する空・雲の鋭いコントラストとなって、画面を緊張させている。


「シビッラの神殿」では、雲の部分の白い色面が描画が重なった黒い部分と美しい対比をなしているが、ピラネージの初期作品「グロッテスキ」でも「描かれていない白」は重要な要素となっていることがわかる。初期作品群では、散乱した(グロテスクな)諸要素の中心に白い大きな色面が残され、この精緻な描画をする作家の「描かれない白」に対する感受性の高さが理解できるが、「シビッラの神殿」の作品でも、この白の効果は大きなものとなる。


時間をかけた腐食による線を重ね合わせて廃虚を描き出し、その背景に直刻技法で空の青を描き、さらに「何も描かない」白による雲を配置することで、ピラネージは1枚の画面に時間の堆積した過去と、空に象徴される現在と、やがて変化していくであろう雲、いまだ何もなされていない未来を描き分け、時間軸の強い垂直性を版画作品それ自体の構造と一致させる形で現出させた。ピラネージの作品に見られる時間性は観念的なものではなく、明解な銅版画の技法の「積み重ね」によって組み上げられた、実体的な奥行きのあるものとしてある。


●小企画展《ローマの景観》:ピラネージのまなざし