東京芸大付属美術館で吉村順三建築展。

主に建築模型と図面、写真、および映像が主の展覧会。プラス家具も少しばかり。全体ではとにかく住宅が多い。実施図面などは、やはり専門家が見て初めてわかるものだと思うけれども、素人でも「家」に興味のある人、例えば現実に住宅の購入や新築、あるいは古い家のリノベーションなどを考えている人には、面白く見ることができるのではないか。有名建築家の展覧会なんて、大規模な公共建築や商業施設ばっかりだったりするけど、こうも住宅、しかも豪邸とかではないふつうの人のための住宅が主軸の「建築展」というのも珍しい。


大きな基礎みたいなコンクリートによる1階部分を作り、その上に高床式住居みたく木造の生活空間をどかんと載せてしまった「軽井沢の山荘」や「浜田山の家」が異様なのもあるけれども、一番凄いのが吉村家の自邸の大増築大会で、「戦争の焼跡にぽつんとあったあばら屋」を買った吉村夫妻が、その後必要に応じてどんどんと拡張につぐ拡張を行い、ほとんどアメーバー的な「増殖」を見せていく様が、平面図で並べられているのが面白い。


時代背景もあるし、今こういう事をやろうと思ってもなかなか難しいのだろうけど、とにかく吉村順三氏の自邸というのは「作り終えなくていい」という感じがして、興味深かった。最初の核になる家が自作ではなく建て売住宅というのも、なんとなく吉村氏の人柄みたいなものが表れている(もちろん経済状況とかもあったのだろうけど)。


建築家の自邸というのは、人にもよるのだろうが色々実験的なことがなされやすいようなイメージがある。だけれどこの吉村邸というのは、ドラム缶風呂の「掘建て小屋」からはじまって、その家のまん中に急にピアノがバーンと置かれたり、子供が邪魔だから書斎を足したり、ようやっとトイレが水洗になったり、けっこうしつこくドラム缶風呂が残ってたり、子供部屋ができたり音楽室が移動したりと、その図面を見ているだけで家の歴史が見えて来る。


住宅の仕事全体に、昭和という時代特有の背景のようなものは感じる。しかし、例えば「御蔵山の家」などは、若い夫婦二人だけのための、超ローコスト+狭小住宅で、これなんかは全然今欲しい、という人がいても不思議じゃない。「狭小住宅」という、ズバリそのまんまな名前の雑誌があるけど、そこに載ってる家より数段良い(「使えそう」という意味でもある)。こういう物が出てくるというのは、個々の建築の場面では「一般的な家庭」なんてものはありえず、個別のまったく違った事情がある「家」というものを相手にせざるをえないからだろう。


そして、そういうことと同時に吉村順三の建築に見える、ある「手ごたえ」「歯ごたえ」みたいなものは多分「姿勢」というものに繋がっていくんじゃないか。具体的に言うと「住み心地のよいもの」という言葉から想像されるような「楽なもの」というニュアンスは、吉村の住宅からは感じない。洗練された「良いもの」であることは分かるのだけど、どこかに垂直なものというか、「楽」ではない厳しい「意志」みたいなものも感じるのだ。その意志の手がかりは、「建築というのは近代的でなければならない」という吉村の言葉にあるように思う。


吉村順三の住宅は徹底して個々の家、あるいは条件というものに寄り添っていく。そして、それなのに安易な便利さとか功利性に傾かないで「手ごたえ」とか「抵抗感」みたいなものを産む。それは、その手付きが最初から最後まで「近代的」だからだと思う。建築の形態(かっこいいとかなんとか)はどうでもよくて、個別のプログラムだけがある、というのが近代主義なのだ*1としたら、吉村順三の住宅の核には、西欧的「近代」があるのだと思う。それは、障子とか木造作りとかの建築言語の向こう側にあるものだ。


ここで思い出したのが、昔柄谷行人村上龍に言っていた「君はモダンな感じがする。君には外部性が刻まれている」という発言だ。吉村の言う「近代」というのは、単なる合理性とか時代のムーブメントではなく、ある種の外部性としてあって、だからこそ吉村順三の住宅には手ごたえとか抵抗感が産まれるのではないだろうか。吉村順三の「近代」は、(日本が敗戦した)アメリカで刻まれている。そして吉村の仕事は、かなりの程度「復興」の仕事だったような気がする。住宅であれば「家」の復興だ。こういうのは、勉強とか優秀さとかでは持つことができない、強制的な刻印として吉村氏の中に−こういってよければ「傷」として−あったような気がする。そして、そのようなものが、作家の「姿勢」として現れてくるのではないか。


そう考えると、天皇の住居である新宮殿が吉村順三の元に回ってきたのは奇妙に整合性がとれているし、それが最後まで完遂されなかったというのも、また「天皇」というものの何ごとかを露呈させている。吉村順三の大きな建築というのは住宅にくらべてあまり印象に残らなかったのだけど、この新宮殿のアイディアは、実現したものの中にどのくらい残っているのだろう?あるいはどこがどのように改変されたのだろう。


大きい建築の中では愛知県立芸術大学のキャンバスが素晴らしい。講議棟が最高。あんなキャンバスで学べる学生さんは羨ましい。一度見に行ってみたくなった。


吉村順三建築展

*1:このフレーズは、「モダニズムのハードコア」にあったもの。うろ覚えで書いた