埼玉県立近代美術館で、ゲント美術館名品展を見てきた。そこに出ていたアンソールの油彩1点が印象的だった。
なんということのない小品で、アトリエのウイリーフィンチ像を描いている。縦長の構図に、右側面を見せて立つ人物は、やや暗くイエローオーカーや褐色、青などで分割された背景の中心に立っている。チョッキの濃い色から伸びた白いシャツの袖が強いコントラストで置かれていて、画面の焦点となっている。顔はやや赤みがあり、袖の下、腰から足の右側の背景に少し明るい色面があって、そこで空間が抜けている。


代表作の仮面や骸骨を描いた作品とは異なり、極めてオーソドックスに描かれている。その色面の構成は明解で、全体にトーンを落としたフラットなマチエールの中に強い明度対比でチョッキとシャツ、その上にある横顔を描き出す様は、古典的な感じすらする。


そしてなお、そんな「普通さ」の中にも「アンソールだ」と思わせる部分があって、それがチョッキからのびるシャツの、肩から肘にかけての白のタッチになる。ここでアンソールは筆をやや斜に、ぐいぐいとうねらせていて、その絵の具の波打つ様が、ストイックに組み上げられた画面の中で際立って見える。上記のように、この部分はあからさまに画面の中心となっているから、この筆の、「一発」な感じの筆致は、かなり周到に置かれた気がする。


アンソールのグロテスクな作品群は、この「うねり」が全面化して画面を覆いつくしていくのだけど、この作品ではここぞ、というところにこのうねりが使われていて、それが地味なこの作品をふっと魅力的なものにしている。制作年などを失念してしまったので、これがアンソールの中でどのような位置付けになるのかは分からないが、恐らく「あのアンソール」になる前の作品ではないか。


このシャツの筆致は別段アクロバティックなものではないので、見ようによっては「誰にでもできるんじゃないか」と思われるかもしれないけど、そんな単純なタッチだからこそ、そこにはアンソールの、おそろしく貴重でけして他人がトレースできない「才能」が現れている。そしてここからは推測になるのだけど、そのことをきちんと自分で見抜いたアンソールは、「この筆致こそが、自分の可能性だ」と思ったのではないだろうか。


とりあえずはこの、たった一つの、単純な白い絵の具の置かれ様は、髑髏や仮面などよりも遥かに強い誘惑性とある種の悪魔性を示しているように見える。


●ゲント美術館名品展