横浜トリエンナーレ/サーカスは回転したか(6)(最終回)

横浜トリエンナーレの可能性
横浜トリエンナーレのポジティブな面を見ていきたい。まず、これだけまとまった数の海外の現役のアーティストが招来され作品が展示されたことは、やはり良かったと思う。このような企画でもないかぎり、日本での紹介が難かしかった作家を知る事は貴重だ。海外の作家の作品が全面的に素晴らしかったわけではない。しかしそこにこそ海外作家の紹介の意義がある。もはやアメリカが先端的とかヨーロッパが本格的だとかアジアに可能性があるなどという事はない。無論、日本の美術が「世界水準」だということでもない。結局、課題にいかに取り組んでいるかは個人の単位で見る他はなく、だからこそ日本内部で自閉せずに様々な地点(国、ではない)で行われている試行錯誤を参照しあう必要があるのだろう。


いったい海外でどの程度この横浜トリエンナーレが認知されていたのかはわからないが、もしこの企画によって国外の人に日本の作家が知られることがあれば、それも同様に肯定的に捉えるべきだろう。さわひらき氏はロンドンで学び既に海外でも活動しているが、もっとその需要が広がる可能性があるのではないか。岩井成昭氏、池水慶一氏、みかんぐみなど、各作品への個人的評価は別にしても、もっと海外へ出て行っていいと思える作家はいると思う。


物故作家の再制作というのはかなり面白かった。なにかと「今」を表象される事が求められるアートイベントの中で、あえて亡くなった作家を再度検討するという切り口は、展示という面では、この横浜トリエンナーレ2005が示した最も素晴らしいプレゼンテーションだったのではないか。高松次郎も、ハイレッド・センターの一員としてだけではなく、その幅広い活動が再評価されるのは、とても良い事だったと思う。


あと、これは会期末の混み合う時期に訪れたからなのかもしれないが、とりあえず「賑やか」な感じをかもし出せていたのは悪くなかった。先述のように、やや意図的に「楽しく参加しよう」という煽りがきつすぎて僕等はひいてしまったが、「サーカスのように次々と作品が飛び出す」感じは実現していて、そこは狙いが決まっていたように思う。入場口では来訪者が17万人を突破したことが大きく書かれていた*1


更に2005年の横浜トリエンナーレに可能性があるとすれば「展示された作品への観客参加」ではなく、展示会場では見えにくい「運営/制作レベルでの市民の美術体験」にあると思える。というか、ほとんどそこが眼目だったのではないかとすら感じる。


まず目を引くのが、ボランティアスタッフの存在だ。無論短い期間での準備を考えれば、実務的にボランティアが必須だったことは確かだろうが、そういった現実的な水準を超えてこのボランティアは横浜トリエンナーレの「影の主軸」になっているように思える。恐らく様々な単位でボランティアはあったのだろうが、いずれにせよその存在感は、やや従来のアートイベントにおけるボランティアと違う気がする。他にも目立つ「はまことり」は、2004年からブログの運営もしている。このボランティア団体の基礎はかなり前からあったのかもしれないが、成立の詳細はわからない。ここはかなりのイベントや企画を立案しているらしいのだが、横浜トリエンナーレにも深くコミットしている。


もう一つ興味深いのが、「横浜トリエンナーレ学校」だ。ボランティア参加者に、トリエンナーレそれ自体や各個の作品を理解するために開かれていたらしいこの「学校」は、美術をよく知っているわけではないが興味を持ち労働力を提供しても良いと考えている人々にとって、まず最初の美術との接点となったように見える。今回、準備期間が短いことが最も残念に思える、そして同時にその中でも比較的新鮮で大きな可能性を秘めていたのがこの横浜トリエンナーレ学校だったと思わせられる。


なぜなら、もしこの横浜トリエンナーレ学校に十分な期間と必要な資金・人材が供給されていたならば、先行する美術史を「モノローグ的」とくくってしまうような初歩的誤解が避けられ、その結果先のエントリで書いたようなコンセプトの破綻のかなりの部分が内部から改善されたのではないかと思えるからだ。また、横浜トリエンナーレ全体で数多く開かれたワークショップやセミナーも、「学校」の一部として捉えられる。学ぶ事が作ることであり、作ることが学ぶことであるというのが美術の最も基礎的で重要な核なのだとすれば、展示会場/展示期間の外にこそ横浜トリエンナーレの最も大きな成果が存在したことになる。なまじな「体験型作品」よりも、このような「体験そのもの」のほうが貴重だったような気がする。


横浜トリエンナーレ学校が、今後の横トリの基礎として据えられるなら、川俣正氏の功績は遥かに長いスパンで検討しなおされる気がする。この規模の国際的展覧会を1年に満たない期間でとりあえず開催させた事、その上で「次」の種を蒔いていたことが総合的に評価されるのであれば、これはかなりの深みをもった仕事となるだろう。そうなるためにも、横浜トリエンナーレ学校は持続的に運営されてほしい。


●提案
言いたい放題言った自分のごう慢さを糊塗するつもりはないが、問題点を指摘したのなら改善案を示さないと説得力がないだろう。なんだかんだ言っても、僕はやはり横浜トリエンナーレは次も、その次も開催されて欲しいと思う。その為になにが必要なのか。


上記のようなボランティアや横浜トリエンナーレ学校に見る今回の「遺産」を土台に考えると、浮かび上がってくるモデルがある。先日このブログでも紹介した、NPO法人MAG-netが企画開催した、三鷹市民ギャラリーにおける「絵画の湯」展がそれだ。詳細はid:eyck:20051212、id:eyck:20051213、およびid:eyck:20051214を参照して欲しいが、簡単にまとめるなら、美術を楽しむことを知っている一般の人々が自ら作品をチョイスし、その作品に感じた「良さ」を伝える為に様々な工夫をしてコンセプトを立てた美術展で、小規模ながら充実した展覧会を行っていた。画家の古谷利裕氏も「偽日記(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html)」(2005.12.14の記事)で肯定的な批評を書かれているので、ぜひそちらも参照していただきたい。


横トリとは規模が違うので単純な事は言えない。それでもこの、一般の人々が実行した展覧会の面白さは、今年行われた大型展覧会と比較しても特別な魅力を放っていた。けして「参加型」でも「運動体」でもない作品/展示であっても、「良い」と思える作品があるなら、その「良さ」が何なのかを問う事自体が文字どおり「ダイアローグ」なのであり、そのようなダイアローグの結果を、さらに外の観客に向けて伝え、加えて観客がどう思うかを問うことで、ダイアローグの増幅を図るというのは、美術と人のかかわり合いのありかたとして規範的ともいえた。そして、その「楽しさ」を観客側/企画側の垣根を超えて検討するために、パズルやカラーボール投票、各種ワークショップといった「遊び」が用意されていた。このような「遊び」は、いかなるサブカルチャーとも拮抗し凌駕しうるポテンシャルを持っていたのではないか。


ここで重要なのは、ボランティアの人々はけして「縁の下の力持ち」ではなく、あくまで企画の主体にあるということだ。もし横浜トリエンナーレ学校が上手く機能したのなら、次の横トリでは「世界的アーティストの労働力」としてボランティアがある、というのではなく、一般の人々がコンセプトを立て実行し、そのサポートとして力のある作家や批評家、キュレーター、美術館などがバックアップする、という体制が作れる可能性がある。


具体的には、サッカーワールドカップのような「予選」があってもいい。批評家やキュレーターが推薦した作家が、BankARTや横浜ポートサイドギャラリーなどで、個展/グループ展を一定の間隔で行い、そこで一般の人々が選んだ作家が「本戦」に参加できる、という形だ。ワークショップが行われるのなら、そこで教師として呼んだ作家と、「生徒の作品」を並べて展示してもいい。個人的に誰か好きな作家がいる人がいたら、その作家のなにが良いのかを好きな人がプレゼンして、良しとなったら招聘するというのもありだろう。その場合は、推薦した人が作家と共同でキュレーションをしたほうが良いだろう(展示には、作家の名前と推薦者のアピール文が掲示さたりとか)。


あるいは、ワークショップやセミナーそのものがトリエンナーレの本体になってもいい。アーティスト次第では、なまじな展示よりも国際的な集客が可能ではないか。この場合は、モデルはむしろ音楽の国際的フェスティバルに求められるかもしれない。コンサートが行われるだけでなく、ヨーヨー・マ小澤征爾が学生を教える教室が併催されるクラッシックのイベントが海外にあるが、そのような形式が参考になるかもしれない。


コンテンツは、なにもいわゆる「市民向け」という言葉から想像される入門的な内容ばかりになる必要はない。だいたい「市民」という言葉に手垢がつきすぎて曖昧なのだが、もちろん川俣正だろうとみかんぐみだろうと長谷川祐子だろうとダニエル・ビュランだろうと「市民」の筈だ(無論、「横浜市民」に限定してはいけない)。大学の学生や院生だって市民だし、そこに対応すれば当然高度に専門的なセミナーやワークショップが必要だろう。一見「通」ではない人であっても、意外なくらい教養を備蓄している「市民」もいるはずだ。高等教育を受けた主婦や主夫、現役を退いた元専門職、あるいは畑こそ違っても高度に論理性を備えた職業についている人に向けるならば、逆にかなりの水準のものを必要とするだろう。


同時に、はっきりと初等教育に「アート」を導入する事も考えていいのではないか。高名な作家は大抵高等教育にコミットする事が多いが、そのような人こそ小学校や中学校、あるいは幼稚園で「最初の一歩」を与えるポジションに着くべきだと僕は思う。以前吉本隆明氏が、柄谷行人氏などの高度な知識人を初等教育に向かわせる可能性を語っていたことから連想したのだが、恒常的にやるのが難かしいのなら(作家はやはり自分の課題を専門的に追求したいだろうから)、まさに横トリのようなイベントでそれが行われていい。


サブカルチャーの高度化やデジタル技術の先進性を模倣するくらいなら、その筋の一線の人をいっそ直接招いて話を聞いたり美術家とコラボレートさせてもいいだろう。ことによったらあたらしい商品開発ぐらい出てくるのではないか。インタラクティブとかオープンソースといった概念をテクニカルに美術に入れ込みたいなら、はっきりと優秀な教師を招いて素直に勉強した方がいいに決まってるし、良くも悪くも「日本の文化」として国際競争力があるゲームや漫画を追走するなら、それそのものをトリエンナーレの枠組みに呼んでもいい。僕自身はサブカルチャーは徹底してアートではないからこそそのポテンシャルを発揮するのだと思うが、中途半端で粗悪な模倣品を「アートだ」と言い張るよりましだろう。


以上、今回の横浜トリエンナーレを元にしたアイディアを羅列した。加えて述べるなら、「市民参加」という言葉にまとわりつくイメージだけで物事を進めるのは危険だということだ。「市民」を事前に既成概念でくくるとつまらなくなる。上で書いたように、いまや「市民」には相当に専門的な層が含まれるし、実際の運営ではマネージメント、会計、広報、実務の全ての面でプロフェクショナルな裏付けが必要となる。横浜トリエンナーレの規模であれば、かなりシビアにやらないとリスキーだろう。妙なポピュリズムに落ち込まないためにも、「縁の下」に入る美術の専門家の重要性はむしろ増すと思える。人数が増えれば利害の衝突や派閥が生まれないと考える方が不自然だ。政治や利権団体、企業の介入も覚悟しなければならない。大団体を組織するよりは、小さな市民グループが連合体を成してネットワーク的に動いた方が効率的かもしれない。その場合、各単位でコンセプトや方法論が複数的で、ある場面では健全な競争がなされるようにした方がいいだろう。


NPO組織や非営利団体が孕む問題点については、山形浩生氏が犀利に指摘している。

この点は十分検討されるべきだろう。ことに資金の流れの透明性は十分確保されなければならない。成果の評価という面では、事が美術と言うものだけに簡単ではないが、事前事後に内部外部を問わず活発に意見が言える環境づくりは必要だろう。経済面では、地域通貨の発行/運用が効果を発揮するかもしれない。横浜という大きな商業圏で地域通貨が循環すれば、それは意外な広がりを持ち、流通や小売り、観光まで巻き込むことが可能ではないか。


ここに書いたのは「言うだけなら簡単」という中身をかなり含んでいる。だとすれば、「絶対3年スパンでやる」という事にこだわらなくてもいい気がする。幸か不幸か、横浜トリエンナーレは「トリエンナーレを4年でやった」という、かなり画期的な前例を作った。目指すことが実現するなら、長い準備期間を置いてもいい。その途中で「この長いプロセス自体が横浜トリエンナーレだ」という認識も生まれるかもしれない。


美術は面白い。それは「ゲームや遊園地、サーカスのように面白い」のではなく「何にも回収できない面白さ」だと思う。そのような面白さは、まず目の前にある美術そのものを検討しなければ次につなげないし、そのような軸がしっかりすれば、それなりに他のジャンルとの並走も可能になる筈だ。美術は果てしない「学習」だと言ってもいい。それは美術そのものの学習でもあるし、美術外部の学習でもある。相互に緊張感をもってすれば、高いテンションでの組み替えも可能だろう。そのような「学習」の重要性が表れていたのが2005年の横浜トリエンナーレだったと思う。そして、そこにはたしかに次の種が植えられた予感がある、と見たい。

*1:最初のアップロードで入場者数を間違えてました。すいません。一部削除しました。…おはずかしい