観光・イタリアルネサンス(1)

●捨て子養育院

なにぶん建築の知識がないので、簡単に。1421-34年ブルネレスキ作の、孤児の養育院。

まず良く知られる、広場全体が中庭に見えるような連続した柱とアーチが横に長くのびるエントリーがある。図版などでは真正面からその水平性を強調された像が有名だが、実際に目前に立つとかなりの高さがあり、見上げる形になる。この「高さ」は前にあるサンティシマ・アヌンツィアータ広場よりも数段高く敷地が設定されていることによるもので、左右の長さも含め、かなりの大形建築という印象を受ける。もっとも、後で見たゴシック教会の「どうやって民衆を圧倒してやろうか」という垂直なスペクタクル性と比べれば、大きさの質がゴシックのそれとは違うことが理解できる。


写真を撮ろうと思うと分かるが、正面全体をフレームに入れようとすると相当離れなければならない。広角レンズを持っていかなかったせいもあり、結局端から端まできちんと納まる写真は撮影できなかった。要はこの建築は、ここぞという「記念写真ポイント」がない。内部と外部の境界となる長く伸びた空間を歩く感覚がファースト・インプレッションとなる。


この正面部分の「大きさ」は、もう一つの効果を感じさせた。一種の包容力と言っていい。僕が訪れたイタリアは、期間中を通じて天候に恵まれたのだけれども、このサンティシマ・アヌンツィアータ広場を訪れた朝は清掃のためか広場全面が水うちされていて、まるで雨上がりのような空気感を漂わせていた。そこから連想するのは、実際に雨が降ったりしたら、ここは良い「雨宿りの軒下」になるのではないかということだ。この正面屋根下まではなんの人目を気にすることなく入ることができて、にわか雨などが来たらごく普通に「雨宿り」する人が集まると思われた。


内部回廊は教会の側面に作られている回廊庭園を取り出したようなもので、似た形式のものは教会を巡るたびに目にした。設置されている平面図を見ればはっきりするが、この本来教会側面にある回廊を前面に置き、その両翼を延ばす形で奥へと細かい部屋を作りだし、向かって右手奥に改めて細長くこじんまりした吹き抜け中庭が設置されているのが捨て子養育院という建物になっている。教会から「神の家」を抜いたのだと言ってもいい。この事は、意外な重要さを持っていると思える。


メダイヨンやフレスコらしい天井絵もあるものの、総じて装飾が少なくすっきりしていて、これは後々いくつか目にしたブルネレスキの特徴と思えた。ミケランジェロと比べても、そのミニマムな表現ははっきりしている。壁面/天井全体に凹凸が少ない。部材の単位は比較的細かく整然と組み上げられている。


結局、最後まで視覚的ではなく空間的な「巡り」がこの建物の主要な印象を形成する。歩調に注目すれば音楽的と言えるかもしれない。内部は細かく分節されており、奥へと進むに従ってやや迷路めいてくる。中に入ってすぐの回廊は親密な感じだが(一部修復のためのイントレが組まれていて雰囲気がやや壊されていたのが惜しかった)、その先にある、思いがけず下への深さがある吹き抜け中庭へと進むにつれて、次々と空間が現れる感じは、ふと見上げた所に見える小さく切り取られた青空なども含め、映画っぽい感覚を呼び起こした。雰囲気がいいとか、目にするショットが美的だということではない。時間的だと言ったほうが正確だろうか。


ちなみに、正面回廊の上部にはささやかな美術館が設置されている。かつてここに収集されていた美術品(養育されていた子供達への「教育」的意味があったのだろうか?)の多くが売られてしまったらしいが、それでもボッティチェルリの聖母子やギルランダイオの作品などが見られる。建物は内部も見学は無料だが、この美術館は料金が発生する。どうしても見るべき、とも言わないが、ここの窓から見るサンティシマ・アヌンツィアータ広場の風景の事も考えると、無駄な出費とは思わなかった。後にブルネレスキの意向を汲んで作られたサンティシマ・アヌンツィアータ教会、セルヴィーティー修道院ファサードと相まって、前面の広場を「中庭っぽく」している様子を見ることができる。捨て子養育院の模型もあり、全体の構造が俯瞰で把握できたのも良かった。