観光・イタリアルネサンス(7)

●ジオット

ウフィッツィでジオットの「荘厳の聖母」。1310年頃の作品とされている。

ギャラリーの構成上、ほぼ最初の部屋となる第2室にある。この部屋は観客の度胆を抜こうと狙いすますかのように、ジオット、ドゥッチョ、チマブーエの、いずれも高さ3メートルを超える弩級聖母子像を並べている。中央に大きく椅子に座る聖母と抱かれた幼子イエスがあり、その周囲を小さな天使や聖人が囲むという基礎的な構成は三点とも共通しているが、それだけに各作品の差異が分かりやすい。目立つのはジオットの聖母の質的な「巨大さ」だ。


比較のために、まずチマブーエの聖母を見てみる。1280-90年に制作とされている。サイズは高さ385cm×幅223cmとなっている。上部1/6程度の高さの所で三角を描き、全体が五角形のフレームをなしている。中央高く首をかしげた聖母マリアが描かれ、ひざ上に幼子イエスがいる。聖母の服のしわは背景の金地に近いような色で詳細に線描されている。聖母は正面を向いた、横に模様の入った椅子に座っている。そして椅子の周囲に多数の天使がいる。椅子は、聖母の肩の高さ以下に縦の帯で、また膝下から足下の高さまではより太い柱状の形態で聖母と周囲を分けている。聖母の足下は、奥から手前へとのびる1点消失の床面として広がり、それが視覚上直角に下に落ちて画面最下部まで達する。この下部はアーチ型に抜かれ、そこに4人の聖人が描かれている。


このチマブーエの聖母像は、作品全体ではジオットのものよりやや大きいくらいなのだが、聖母の描かれ方自体は破たんがなく天使や聖人達と並存している。椅子の表現に奥行きが発生しているが、人物は、ことに線で描写された服のしわによって、ジオットに比べ平面的となっている。この平面性こそ、チマブーエの聖母の大きさを違和感なくする要素になっている。


ビザンチン的要素を残しているチマブーエの聖母像は、どこか「読まれる」ものとして感じられる。マンガの1ページに近い。そう見える理由は、天使と聖人を聖母子から切り離す椅子とその下部が「コマ割り」のような効果を果たしているためだ。マンガのページ構成において、中央に大コマがあり、そこにメイン・ヒロインが大きく描かれ、周囲の小さいコマにサブキャラが配されるというのは一般的なあり方だ。そこでは各コマはその関係において「読まれる」ものとなり、1ページの平面の中に問題なく納まる。


対してジオットは、先行するチマブーエより更に「自然」を重視した事で特筆される画家なのだが、この「荘厳の聖母」は、むしろチマブーエの聖母より異様な感じがある。くり返し言えば、ドゥッチョやチマブーエのそれよりも、ジオットの描いた聖母は明らかに「巨大」な印象が強いのだ。これは作品の物理的なスケールによるものだけではない。そうならば、似たような大きさのドゥッチョ/チマブーエの作品との差はうまれない。


改めてジオットの「荘厳の聖母」を見てみる。325cm×204cmの大きさで、やはり五角形をしている。特徴的なのは玉座で、左右のついたてで示された「奥行き」は、チマブーエのそれよりも遥かに強く感じられる。チマブーエの椅子は横線の模様を持った太い帯で示されるが、ジオットのそれは、繊細な縦方向の細い材料で組み上げられている。また、明白にマリアの中心で消失点を結ぶ遠近法で描かれており現実的な空間を発生させている。また、図式的な「聖母の首のかしげ」がなくなり、まっすぐ観客を捕らえる視線をしている。服のドレープも線描でなく濃淡で表現されていて、胸のふくらみが聖母の身体の厚みを感じさせる。


正面から捉えられた玉座の奥行き、ジオットを特徴づけるその箱的空間は、金地で覆われた画面全体を一度「同じ空間」として認識させる。そこでは聖母も幼子イエスも、周囲を取り囲む天使や聖人達も、同一の場所にいるように感受される。そして、にも関わらず聖母は明白に大きい。その量感は建築的とも言える。まるで人々に囲まれた教会が立っているようでもある。この「質量」の差は、玉座の奥行きだけで産まれるのではない。聖母の「自然」な描写、その胸元のボリューム、人間的な表情等が聖母に、単なる図像ではない存在感を与えている。


マンガのように読まれる構造をもったチマブーエの聖母像は、中心になる聖母が大きく周囲のサブキャラが小さくても、それは(コマ割りによって)まったく問題なく同一平面上に存在しうる。ところが「自然」な箱的空間と人物描写が行われたジオットの聖母像は、「同一空間」を成り立たせながら、そのことが聖母の「巨大化」を引き起こし同一平面を変型させている。それは文字・記号的に「読まれる」から視覚的に「見られる」ことへの認知的変換が行われた結果のように思える。


このジオットの聖母は、まるで映画のズームアップがそこだけ行われたようだ。映画でズームアップがなされれば、周囲の「サブキャラ」はフレームアウトするが、この「荘厳の聖母」ではそのズームアップに従って周囲は小さく縮小される。このような効果を産む光学的装置は魚眼レンズだ。我々の生活の中で身近にあるドアの防犯用ののぞき穴、そこにある魚眼レンズを想起してみれば、ジオットの「荘厳の聖母」という作品で引き起こされている事態が想像しやすいだろう。魚眼レンズを通してみれば、中央にあるものは巨大に、周辺にあるものは逆に縮小されて見える。「同一空間」がありながら、それは大きく変容され「平面」が歪んでいく。


ジオットによる、奥行きとボリュームのゴシック様式への導入は、このような特徴を持つ。この魚眼的空間は、サンタ・クローチェ教会の回廊脇のギャラリーで見られた祭壇画、バチカン美術館にあったステファネスキの祭壇画でもあるもので、同時代及び前後の画家・作品と比べても、ジオットの大きな特質のように見える。それはほとんどサインのように、多くの作品のある場所であってもジオットという名前を拡大している。