観光・イタリアルネサンス(11)
●ボッティチェリ3
昨日の続きになる。「誹謗」は縦62cm×横91cmの作品で、1490年頃に板にテンペラで描かれている。
- ローマ風の柱とアーチのある建物の室内に人物群が描かれる。
- アーチ形に抜けた空間にはほぼフラットな青と、中央の抜け下部に僅かに薄い緑の色面があり、そのぶつかり合いが水平線をなす。
- 画面中央下辺近くに床に引きずられた腰布一枚を纏った男が手を合わせている。
- その男の髪をつかむ青い衣の女性は髪を持つ右手を見ている。
- この女性の左手は褐色の服に包まれ松明を持つ男に握られている。
- また、背後にこの女性の首飾りをもつ別の女性がおり、その左側に赤い服を着た更に別の女性がいて、やはり青い服の女性の首飾りに手を伸ばしている。
- この赤い服の女性が画面のほぼ中央にいる。
- 松明を持つ男は画面右の段上に座る男の顔を指差し、座る男もそれと交差するように松明の男を指差す。
- 座る男の手前と奥にはそれぞれ大きく体を乗り出した女性が一人づついる。
- 画面反対側左辺近くには全裸の男が右手で天を指差し、
- これと赤い服の女性の間に黒い服の老婆がいて、全裸の男を振り返るように見ている。
これだけの人物がいながら、それぞれの人物は小さく、画面に広さがある。映像ならばカメラが極端に引かれた状態と言っていい。また、画面上半分はほぼ背景となるローマ風の建物の室内であって、このことも含め高い天井の部屋の空虚感がある。抜けた窓の外の風景が、草木一本もなく緻密な描写の室内に対して極端な素っ気なさを示している。また、大きくとられた建物の柱と壁、天井、画面右の人物が座る壇の基部には様々なレリーフ・彫刻が描写されている。
この絵の「舞台」となる室内は、ほぼ完全な1点消失の作図法で組み上げられている。壁面や柱、その基部が描く集中線は、多少のずれを見せながらも赤い服の女性の顔で交わる。また、画面奥に見える水平線も正しくこの交叉点の高さにある。この消失点は、作品の高さ、幅共に1/2のところにあり、画面中央と一致する。つまり、「誹謗」は作図だけみるならむしろ徹底して求心的に描かれている。また、人物の表現に関しては、個々の人物を取り上げればそれほど極端な変型は目立たない。その理由は「ビーナスの誕生」のような、露骨な歪みを見せる人物を大きく全裸で描くようなことはしておらず、個々の人物が小さいからで、髪をひきずられる男性と左端の天を指す男性が裸体である他は、幾重にも重なった厚い服を着ていてその体の線は見えない。
だが、にもかかわらず人物群の不安定さは、「ビーナスの誕生」や「春」よりも際立って見える。例えば最も目立つ赤い服の女性は身体全体を右上へと傾け、今にも倒れそうに見える。もう一人、首飾りに手をかける女性は肘を極端に上げ、右上に伸び上がった動きを見せる。左端の男性も天を指し、松明を持つ男も壇上を指差すことから、この4人は絵の重心を上へと上がている。逆に壇上の3人は身体を乗り出し転げ落ちそうになっていて、その左下への動きと対称を描くように、黒服の老婆は右下を指差し左上を振仰ぐ。このV字を描く中央底辺に、髪を引きずられる男がいる。交錯した人々の中で床にしっかりと重心をかけているものは老婆と松明を持つ男ぐらいなものであり、他の人物は上へ伸び上がり浮きそうに見える左端の男性を除いて動的だ。ことに赤い服の女性のプロポーションは注視すれば不自然で、作品の主要なイメージを決定づける。
この絵が与える居心地の悪さは、空間が画面中心に消失点が設定された静的なものでありながら、そこに配された人物群が不安定な動きを見せている、そのギャップにある。この「誹謗」の場面を描きたいのなら、背景の広い空間は明らかに無駄になる。逆に1点消失の空間を生かすには、あまりにも人物が多く動的で、集中的な消失点と分散的な人物群が乖離を起こしている*1。このようなギャップのない「正しい」絵を描く能力は、1485-90年の「サン・バルバナの祭壇画」で十分示されているから*2、ボッティチェリの技量に問題があるわけではない。
この絵の前に立つと、自分がこの作品から切り離されてあるように思える。同時に、この絵の背景、大きな建物の向こうにある、何も描かれていない場所に自分が連れていかれるような感覚にも陥る。前者は、絵の中で起きている「事件」が迫真せず離れた場所に設定され小さく描かれていることによるだろうし、後者はこの絵に正対したとき、真直ぐに目がほとんど無地に見えるアーチの隙間に吸い込まれるからだ。自分がいる今ここは作品から排除され、孤立させられながら、同時に描画が放棄されたような色面に結び付けられる。その事を無視しようとすれば、とたんに入り組んで描かれた群像劇、その多数の参照ポイントを元にした解釈ゲームに巻き込まれそうになる。
小さく、すなわち重要ではないといわんばかりの扱いがされたその“劇”は、しかし一度目を注げばその扱いの小ささに反比例するかのように読み込みを要求してくる。「誹謗」は「今、ここで絵の中のできごとが起きているようにこの絵を見よ」という絵ではない。むしろそのような絵への告発としてある。それはすでにレオナルドが名声をはくし、初期ルネサンスが終焉し盛期ルネサンスが謳歌され始めた時代の中で、はっきりと反抗として機能する。政治的、宗教的反動ではない、絵画の反抗だ。
遠近法の完成に従って、絵画は絵画であることを忘却させる。まるで絵の中の出来ごとが、観客の目の前で起きているかのようなイリュージョンを成り立たせ、そこに観客は没入し一体感を得る。ボッティチェリが「誹謗」で行ったのは、技量としては人体描写も遠近法も完全に把握している画家が、それを組み合わせ、ずらす事で、まるで演劇の仕組み-皆が没入しつつある“現実的絵画”の不自然さを暴露し、それにのめり込むことなく仕組み自体をつきつけるような試みだった。このような反抗は、すでに述べたように、意識的である/ないに関わらず、ボッティチェリが画家としての「春」を謳歌していた時から芽吹き始めている。
だから、それは、あくまで絵画というものに内在する問題、絵画の中の問題なのだ。“正確”な人体描写、“正確”な空間表現が声高にいわれ、初期ルネサンスの多様な試みが、ある様式に収斂していこうとしていた過渡期にいたボッティチェリは、その収斂に、純絵画的に抵抗する。人物の解剖学的描写も遠近法も、デビュー段階にして大家のポッライウォーロをあっさり出し抜ける技量をもっていたボッティチェリにとって、何程のことでもなかった。むしろ、そのように構造化が完成しつつあったルネサンスにボッティチェリの鋭敏さが見たのはその虚構性だったのではないか。ボッティチェリは持てる技術の全てを動員してその“流れ”に抗したように見える。細部を見れば「春」と変わらない精緻な描写を行い、遠近法も破たんなく構築する「誹謗」のボッティチェリに、老いから来る衰弱は見られない。むしろその卓越した技法が生み出すものに対する猜疑が技法それ自体を通じて表されているのだ。
ボッティチェリに、あるいは「誹謗」に、政治状況や宗教的煩悶からくる心理、あるいは隠された画家の深層意識を持ち込む必要はない。この絵が「誹謗」するのは、閉じてゆくルネサンス、それを最も体現しつつあった“絵画”そのものだ。