「THE有頂天ホテル」は独り言の映画だ。この映画を「多数のキャストを上手くまとめている」と見る人がいたら、それは間違いだろうと思う。いかにも登場人物が複数いるように見えながら、実は最終的にたった一つの主体しか扱っていないのだから、そもそも破綻とか混乱が招来されようがない。簡単に言えば「有頂天ホテル」は「見栄っぱりの小心な男を母親が励ます」というもので、この“見栄っぱりの小心な男”と“母親”をいくつかに分割し、見かけ上の人数を増やしている。そしてその“母親”も、リアルな(つまり不条理な)、現実の母親ではなく、“見栄っぱりの小心な男”の夢、あるいは妄想としての母親だ。つまりこの映画は、たった一つの“男”の自意識しか撮っていない。


自分の経歴を前妻に隠す男、娼婦につきまとわれて慌てる男、恋人の下着をはいたことを責められる男、過去の恋人の叱咤で政治家としての決断を翻す男、ガールフレンドの応援で夢を諦めないことにした男、母親がわりのマネージャーの前で歌手としてのプレッシャーに駄々を捏ねる男etc.、これらは全て1つの「男」のバリエーションであって、それぞれに附随する「前妻」「娼婦」「恋人」「過去の恋人」「ガールフレンド」「母親がわりのマネージャー」なども「男」にとっての「妄想としての母親」のバリエーションとなる。白粉を塗った男、女性歌手を丸め込みながら都合がわるくなると彼女を追い出して自らが女装する男なども含めて、この映画には見事に単独の自己イメージしか写らない。こうも徹底してモノローグを写し出すフィルムというのも珍しい。結果的に「THE有頂天ホテル」には豪華と見まごう貧しさがあり、賑やかさに似た寂しさがある。


三谷幸喜監督の映画は「ラジオの時間」「みんなのいえ」と続けて劇場で見ているが、もともとこのような指向はこの作家に内在していたのかもしれない。ただ、恐らく三谷幸喜は徐々に映画監督として上手くなっている。普通に言って、どんなに「独り言」を撮ろうとしても、現実に多くの俳優が立てばそこに齟齬が産まれ画面は多少なりとも分裂するだろう。ところが三谷氏は、周到にそのそのひび割れを埋めてゆく。そういう意味では竹中直人とやや共通する感覚がある。


今にして思えば、公開時にあまりにも風穴がないと思えた第一作、密室のドタバタ劇である「ラジオの時間」には、まだ多少の混乱や思いがけない映像があった。自伝的コメディ「みんなのいえ」を経て、「THE有頂天ホテル」で三谷氏はある種の開き直りを見せている。「上手く」作れれば、見栄っぱりで小心な男のヒトリゴトであっても良いではないか、という確信は、この映画を破綻とは無縁な無風映画として完成させている。全ての挑戦が、あらかじめ失敗の可能性を塞いでから行われている印象がある。その丹念な仕事ぶりは工芸的で画面をツルツルにしている。


そのような画面を多少でも揺るがす可能性があるとすれば、それは役者以外に考えられないのだが、ここでの役者はあまりにも映画に対して従順だ。ことに女優陣のしつけられ方は尋常ではない。登場してくる女性は皆コスプレをしている。ホテルのメイド、スチュワーデス、コールガールや歌手の衣装がコスプレっぽく見えるのは、それらが男の妄想の一部だからだが、その延長で、特徴がない筈の妻の衣装までコスプレ化している。そして、それらのコスプレが、単なるサービス(誰へのサービスなのか)ではなく改めて制服として女優を縛っている。


こういった視覚的規律はフレームを隅々まで規定していて、役者に一切の逸脱を許さない。逆に、その規律の枠組みに沿うような演技をしているならば、多少の遊びは許されているのだが、その遊びも管理の上でのことだ。コールガール役の篠原涼子が失意の政治家(佐藤浩市)を慰めるために倉庫に誘惑するシークエンスなどは、この管理された奔放さが効果的に演じられたシーンと言えようが、結局このような、男の妄想に応えるシーンばかりが“上手に”捉えられているのが「THE有頂天ホテル」というフィルムだろう。


序盤の不機嫌な未婚の母の松たか子がわずかに生々しく、末尾で優しく電話で息子に話しかけるシーンがそれと比べて単調なところが、松たか子という役者、というより人物がかすかに作った破調で、西田敏行演じる演歌歌手と明らかにホモセクシャルな関係にあるマネージャーの梶原善などは、むしろ最も的確な「理想の母親」として振る舞う。いくらなんでも甘やかしすぎだと思えるのがアシスタント・マネージャーの戸田恵子だ。彼女が甘やかしているのは役所広司演じる副支配人ではなく三谷監督で、最後のパーティーのシーンで一瞬踊る所も含めて、役所のことも見ず、無論劇場にいるはずの観客も意識せず、監督のことしか見ていない。


キャンペーンのテレビ番組で、 三谷幸喜がさらっと「YOUさんは僕のいいなりですから」と言ったのはシャレでも冗談でもなく、全くの本気の発言で、この時のYOUの表情はなかなかに複雑だった。作中、役所広司を灰皿で殴って、そのまま突っ立つ姿にはYOU独特の荒れたたたずまいがあったが、最後にコケティッシュな声でエンディング・ナンバーを歌う姿は三谷幸喜へのサービスで溢れている。それはこの映画全体に言えることで、全ての役者、照明、舞台美術等が、ほとんど観客に向けてサービスをせずに三谷幸喜だけを有頂天にすることに奉仕している。