建築家ユニットIKMOの自宅兼スタジオ「キチ001」のオープンハウスに行って来た。東京東部にある築34年の木造家屋を、構造だけ残してリノベーションしたものだった。詳細は以下を参照のこと。

古い住宅密集地に立っている、敷地10坪弱、建坪7.5坪という狭小住宅で、ここに大人二人とネコ1匹が住まうことになる。西が狭い路地に面しているが、その他3方はほとんど隣家と隙間がなく、極端に奥に細長い敷地だ。路地に面した壁面は大きくガラス窓が設置され(工業用アルミサッシが使われている)、天井も6割がガラスとなっている。


正面ガラス面は大きなアミで防護されている。ここにはツル性の植物が這わされる予定だそうだ。1Fは残された基礎に鉄筋が入っていないため改めてベタ基礎を打ち金具で連結している*1。そのコンクリートの基礎がそのまま床となる。床暖房が施されている。入り口には横に細長く窪みがあり、ここはビオトープとなるそうだ。ビオトープ上は3Fまで吹き抜けていて、ガラス天井から差し込む日光で明るく輝く。ここにはネムの木の鉢植えが置かれている。


壁はベニヤで覆われている。入り口入って左側の壁面に多数の棚が設置されている。それに沿ってステンのフレームの机が2機置かれ、ここが建築家のアトリエとしての機能を持つことになる。最奥左手にトイレがあり、右側にポールを中心に螺旋状に足場が設置された階段がある。中2Fまで登ると洗面所と洗濯機置き場があり、2Fはやはりベニヤの床を持ったキッチンがある。吹き抜けに面して下が透ける網状ステンの床があり、ここがダイニングとなる。螺旋階段を更に上がると中3F、洗面所の直上にベニヤにFRPを施したシャワー室がある。浴槽はない。更に上がると3Fロフト、というよりは天井との隙間を利用した、数十cmの高さしかない空間があり、ここが寝室となる。吹き抜け側には壁がなく、ダイニングを見おろせる。梁は本来の古い材に補強がなされている。


間仕切りがなく、34年前の古い柱や梁が露出したシンプルな形態はラフな手触りで、「住宅」でも「邸宅」でもなく、「キチ」という言葉が面白い程フィットしている。構造が化粧板などで隠される事なく一目で把握できる様相はミースなどの近代建築も連想されるが、同時に合掌造りの民家や、川俣正の仮設インスタレーションのようなものまでイメージできる。いろんな細部に、この二人の若い建築家が備蓄してきた経験がほの見えて飽きない。使用されている建築言語はこの作家の住宅第一号となる「カキノキノイエ」と共通する部分が多い*2が、より条件が切り詰められている分一つ一つがソリッドに見える。


都内に立つ建築家の狭小住宅で縦に展開したものと言えば東孝光の「塔の家」が思い起こされるが、交通量の多い外部に対して徹底的に防御的な「塔の家」の、重いコンクリートの量塊が一種の暗さを時を経るに従ってその外観ににじみ出させていることを考えると、この古住宅の再生によって生まれた「キチ001」は、古びた材や意図的に残された木製サッシのガラス戸等に過去の記憶を覗き見せながらも、ネーミングに現れた乾燥した軽快さが「塔」とは反対の明るさを発散している。


膜のような薄い面(ガラス、残された外壁、ベニヤ、カーテンetc.)と木のフレームが織り成す重力を感じさせない空間が、思いのほか複雑に折り畳まれている。高い吹き抜けのエントランスは恐ろしく密集した周辺の環境にもかかわらず、というかそれゆえにガラス張りにされていて溢れるような陽光が導き入れられ、内部でありながら外部の気象がダイレクトに入り込んでいる。ネムの木とビオトープがその気象を呼吸する。ここは玄関でもあり、縁側でもある。内/外が緩やかに接続されながら仕切られる。そこと連続したアトリエは建築家の主な仕事場だが、そこは当然様々な思考の場であり、物理的な作業場であり、壁に資料が置かれる為の棚が大量にあるという一種の図書室であり、来客を迎える応接スペースでもある。


向かって左奥は1FからM2Fに洗面所+洗濯機、更にその上M3Fにシャワールームと水回りが集積している。2Fのキッチンはカーテンで仕切られ様々な資材・工具も置かれることとなりそうだ。床を網状のステン材にされたダイニングは同時に光りと空気の通り道であり、ロフト状の寝室は、間近の屋根ごしに空・宇宙を感じる想念の空間ともなるだろう。そして大事な事だが、この縦に展開された場は、全体がネコの格好のプレイフィールドともなるだろう。


内部を巡れば視線が縦にも横にも斜にも走り、「あの場所へ行きたい」という気持ちになる。そして実際に、木登りをするようにその場所へ行くことができる。「木登りをするように」と書いたが、これは比喩ではない。この建物自体が木登りできる木なのだ。それはフォトジェニックに、視覚性だけを磨かれた妙に雑誌映えのする、しかし空間としてはつまらないメディア的な建物ではなく、優れて身体的な時空を内包した「キチ」となっている。


子供の頃、「秘密基地」を作って遊んだ人はどのくらいいるのだろう?家から少し離れた広場に置かれたコンクリートの大きな水道管の中、林の中の木と木の間を段ボールや材木で囲った空間、畑や遊休地に残された窪地にフタをしただけの空間。そういった場所に駄菓子や遊び道具を持ち込み、幼馴染み達と親密な時間を過ごした世代というのは、もしかしたらごく狭い時代にしか許されなかった贅沢な人々だったのかもしれない。そういった経験のある人なら、このIKMOの「キチ001」に詰め込まれた、圧倒的なワクワク・ドキドキ感が、一度そこを訪れるだけですぐに了解できる筈だ。


無論、この「キチ001」は、保護された子供の、楽しいだけの刹那的な遊び場ではない。自立した大人の、決して富裕とは言えない条件から導き出されたギリギリの解答だ。重ねあわされた空間は建て坪と予算の臨界点からもたらされた条件の露呈であり、暮らし、働き、人とコミュニケーションするために必要なものが一切の無駄なく集積された、現実というものの断面そのものでもある。しかし、ここに見える「現実の厳しさ」は、驚く程悲観性を欠いている。豊かな条件に恵まれていなくても、粘り強く思考し、技術を確実に収得し、その上に自らの世界観を展開する持続的な生活をしていくならば、どのような「現実」もなんとかなる、という一種の開き直りにも似た自信が「キチ001」にはある。


壊れれば直せばいいし、崩れればそこから立て直しをはかればいい。これは建物だけの事ではない。001、とふられたナンバリングには、そのような意志が込められている。それは子供には宿らない、生きてゆく大人だけが持てる「生活」への意思表示なのだと思えた。その意志の、悲壮でなく伸びやかに上昇していっている様が楽し気に見えてしまうのが、IKMOという建築家達の資質なのだろう。

*1:技術的なことはIKMOからの話しを思い出して書いているので、間違いがあるかもしれない

*2:中2階があるステップ・フロアなどの空間構成から照明などの細部