この前書いた色に関してもう少し。


色というのは観念的なものではなくて、モノの一断面というか、モノの組成を「表現」している、あるいは「あらわれ」としてあるものの筈だ。例えば空が青いのは、大気中の窒素が太陽光の赤の波長を吸収し青を反射する属性を持っている、その反映だ。ある絵の具が青いのは、その絵の具の顔料が同様に青を反射しているためで、いくつかの物質の特性の一つの「あらわれ」を差して「青い絵の具」とか「黄色い絵の具」とか言っていることになる。


色を、色として(つまりイメージとしての色として)最初に認識するのではなく、ある物質の特性、この場合は「ある絵の具の特性」を把握していこうとしていった結果、最終的にその絵の具が持つ「色」というものが浮かび上がっていくような感覚でないと、僕には色というものがわかってこない。ある絵の具は粘り気があり、もったりしていて、抵抗があり、乾燥が遅く、乾くと少しザラついていて、そのような諸々の特性の一部として「青い」。ぼくが絵の具を選ぶ時は、このくらい遅れて「色」が出て来る。こんな言い方は勿論虚構で、その絵の具が「青い」ことは事前に知っているわけだし、青という色のことを何かしらの理由で選んでいるわけだけど、でもどこかその「青」は、選ばれる理由としてやや弱い、というかパーセンテージが低い、あるいはどこか鈍い存在としてある。


例えばmaimeriのカドミウムイエローレモンは、なにか「臭い」絵の具だ。油の質が悪いのかどうか知らないが、独特の臭気がある。キャップを外してパレットに出すと、やや油が浮いた、妙に伸びる、そしてどこか青みをおびた「黄色」が出現する。この絵の具がやたらと扱いづらくて、なにか薄いわりにはすーっと伸ばしたへりにダマのような盛り上がりが残る。こういう感触に拘泥していると、いつまでたっても絵は出来上がらないし、「複数の色」=関係の中の色が見えてこない。この「maimeriのカドミウムイエローレモン」をなんとかしたいためだけに時間が過ぎていってしまい、いつまでたっても他の絵の具が投入できない。


多分、そんな事を言っているのはバカの証拠で、とっとと扱いやすい絵の具を選ぶなり自作するなりしてさっさと前に進めばいい。こういう書き方をしていると、下手をすると、自分のこのような愚かさに何か積極的な意味を見い出しているかのようだけど、実はそんな事は何もなくて、僕に必要なのは「勇気」とか、「思いきり」とか、そんな水準の話でしかないのだろう。そしてそのような、とるにたりない決定が遅い、というのが、なんとも自分の度し難い条件なんだろうと思う。