埼玉県立近代美術館ホルストヤンセン展を見た。ここで見られるのは「線の力」というべきものだ。ヤンセンの引くたった一本の線に内在する「力」は、彼を巡って繰り広げられている瑣末なおしゃべり、すなわち生と死とか、画家の奔放な生きざまからうまれる逸話とか、嗜虐的/被虐的エロティシズムだとかいった事柄を完全に焼却してしまう。ヤンセンを見るということは、その線、あるいは線の立ち上がりを見る、ということなのであって、それを見ずに、周辺的かつどうでもいいディレッタンティズムに陥ることは、1995年に65才という年令で亡くなったこの画家を、二重三重に殺すことになる。


1958年に製作された銅版画「ドン・キホーテ」は、エッチングによる線が画面を無数に分割し、その総体がどこかやせ細った男の体をイメージさせるような作品だが、ここでは人体のイメージは、ヤンセンに線を刻ませるための材料のようなものだ。プレス機の高い圧力によって紙が銅板に食い込み、埋め込まれた黒いインクを掘り抜いて、文字どおり「立ち上がった」線は、その一本一本が紙という基底材を一度押しつぶした上で再度分節し、何も描かれていない白い余白をも秩序化し力の漲った空間として、今度は画面全体を抽象的な次元で「立ちあげる」。


ここでは銅版画という技法が、余白の白に圧縮された紙という独自の質を与えることに寄与している。が、ヤンセンの引く線の力は、そのようなシステムを導入しなくても成り立つことを鉛筆画が示している。1962年の「ジーマース夫人」は、紙に鉛筆で描かれた線の集積が、1枚の紙をいくつかのレベルが折り畳まれた複雑な系として生まれ変わらせている。一見乱雑に引かれた短長様々な線が、折り重なりあいながら個々に厳密な関係を築き上げ、紙を線と線以外のものに分割し、その分割された白を線の緊張感によって単なる白ではない、質としての白として浮上させていく。この質をもった白は、「多数の線」に対して「ひとつのまとまりとしての、地の白」とはならない。多数の線が一本引かれるごとに、それが引かれなかった場所は、一本の線によって1つ以上の質を孕むことになる。


例えば、画面にヤンセンの線が一度引かれると、それ以外の余白は線の左右、上下、あるいはそれ以上の数の性格をもつ「力場」に分節される。「ジーマース夫人」では、ラフに引かれた線が、しかし同時にある精度で集積されていった結果、線の数を上回る性質をもった空間を1枚の紙の上に「立ち上げて」いく。無論、そこに(結果的に)感受される顔のイメージ、しかもねじれ、分解された顔や口のイメージが3つ、あるいは4つと心霊写真のように浮かんでいる様を、ベーコン的な暴力や被虐/嗜虐性と絡めて見ることはそれなりに可能だが、しかしそれはヤンセンが引く線が生み出した、幾重ものレベルの一段面にすぎないのであって、この作品を単に「いくつかの顔」という「単一のイメージ」に落とし込むことは、像だけを見て、個々の物理的な線を見失うことに他ならない。


ヤンセンの描くイメージは、線にくらべると単純だ。あからさまな男女の性交の場面やナルシスティックな自画像、腐敗を感じさせる植物や解体されつつあるような人体など、一度その像に捕らわれると、ただちに死とセックスのダブルイメージや退廃的な「世紀末文学」のような、通俗的解釈にしかたどり着けない。だが、例えば画面中央にはらはらとちりばめられた細かい線が、なにかしらのイメージを浮かび上がらせていきそうになりながら、しかしこの画面下辺に、右斜め上にドン、と、太い線が引かれ途中でぐっ、と一度段差を作りつつふたたび画面右隅へ貫通していく、イメージとはなんの繋がりもない一本の線が刻まれた作品を見るとき、この線の持つ、画面に対しての“正しさ”が、主要な位置に描かれたイメージ、みようによっては退屈なイメージをあっさりと乗り越え、消し去ってしまう。この場合、中央に描かれたイメージは、厳格で厳密な、下辺の一本の線を成り立たせるための要素でしかないことに気付く。


ヤンセンにおける線が複雑な性格をもっていることは、今回展示されている初期の木版画を見ることで明確になる。1957年の「雨」では、素描や銅版画に比べるとやや方向性の整った、縦と横と斜めの線の構成が、街路に降る雨とそこをあるく記号的な人々をくっきりと浮かび上がらせている。この作品での黒い線は、一度画面全体に墨版がおかれ、その上から縦横に刻まれた色版が置かれることで成り立っている。ここでは、画面を覆う黒い広がりが、後に四方から押し寄せられ区切られることで線となる。そのことによって、一度奥に沈みこまされた黒い線が、後から改めて前面に迫り出してくるという屈折した効果を持つ。こういった、画面全てに力を及ばせながら、しかし周囲から押し返す力によってそれが事後的に線になる、というヤンセン木版画の構造は、後の銅版画、そしてドローイングにも影響を与えている。そこでは確かに線がひかれるだけだが、その線は線以外の残余の画面全てに効果を与え、そのことによって力を得た余白から押し返されることで、実際の太さよりも、より圧迫され鋭くなるのだ。


ヤンセンは生涯を通じてセンスの塊で、その感覚の純度を保つためだけに描きつづけていったような画家だ。ほぼデビューから完成されていて、死の前まで画題の変化はありながら成長の痕跡はない。同時代の現代美術に一切興味を示さず、押さえようもない国際的評価の高まりに背を向けながら、ただ線を、しかも決定的な線を引き続けてきた。恩師にデューラー以来の素描家と呼ばれたヤンセンは、実は意外なくらいに、絵の「内容」に関しては貧しい。その貧しさは、このような画家にとって才能という名の条件であって、この条件が与える苦しさは想像も及ばない。65才という生涯の微妙な長さ/短さは、この画家の才能=センス=条件がもたらしたものかもしれない。


ホルストヤンセン展-北斎へのまなざし-