柄谷行人が1987年に「広告批評」の主催で行った講演が「言葉と悲劇」(講談社教養文庫)に納められている。「歴史、あるいは批評としての広告」と題された文章は比較的平易に見えるが、これを改めて読んだ。ここで柄谷氏は、

  • 広告が届く範囲はある共同体の範囲である。
  • 広告と批評は商品・小説に対して二次的なものである点で共通している。
  • そのような二次的なものが、一次的なものより優位に立つという状況が表れた。
  • 小説自体も、先行する小説の引用、変型であることが露呈した。
  • しかし、それが次のサイクルでは再び逆転し、一次的なものの優位が再浮上する(ように見える)。

という論議を進めた後、以下のように書く。

しかし、一次的、二次的というようなことを形式的にひっくりかえしてみたり、いじくったりするということではだめなのではないか、と僕は思います。つまり、ディコンストラクションもそうですけれども、このような位階の上下をひっくり返したり、あるいは上下の区別そのものを解体するということを、たんなる形式的操作でないようにしているものは何なのか。この形式に意味を与えているものは何であるのか。僕はこのような形式の外にあるものを「歴史」と呼びたいんです。それは普通にいう歴史ではありません。われわれが意識していないある外部性を「歴史」と呼ぶのです。(歴史、あるいは批評としての広告p286)

僕がこの文章を今アクチュアルに感じるのは、ここで書かれた「歴史」に興味があるためだ。だが、この「歴史」について考えることは難しい。


この後「歴史、あるいは批評としての広告」は、一次的/二次的なものの逆転は、哲学が始まった時以来続けられている、と指摘する。中世のリアリズム(実名論)/ノミナリズム唯名論)の対立は、ギリシアプラトンアリストテレスの対立に遡行できる。このような事は日本の近代文学でも表れている。小説の地名や人名が抽象化し、その代わりに商品名はそのまま出て来るのは、近代文学の「リアリズム」に対して出て来た「反リアリズム」だ。しかし、実は近代リアリズムというのは(最初期において)ノミナリスティックだった事が示される。

健三とか謙作という名をつけること自体が、それまでの、例えば「間貫一」と「富山」(『金色夜叉』)のように意味を背負った名に対する否定だったのです。それによって、個体(個物)としての主人公を描きえた。しかし、それが定着すると、リアリズムはまさに古い意味で「リアリスティック」になってしまいます。今日の文学は、それに対してノミナリスティックですね。(同書p290)

先行者(『金色夜叉』とか)に対してノミナリスティックなものとして表れたものが、定着することで更にノミナリスティックなものを産む。「あらゆる局面で一つの思想上の展開があるときは、必ずリアリズムからノミナリズムへという形をとっていると思います(同書p292)」。


だがこのような「一次的/二次的なものの交換」を“文脈ゲーム”として捉えてしまえば、その転倒のくり返しは、それが届く範囲の共同性を強化することにしか繋がらないのではないか。それは、あくまで「歴史」において考えられなければならない。「歴史、あるいは批評としての広告」は、この後政治の問題へと触れて行く。政治における「リアリズム」は貴族政治にあたり、「ノミナリズム」は民主政治にあたるが、民主政治はファシズム化する危険を常に孕んでいる。

ナチスとかイタリアのファシズムというと、弾圧とか恐怖政治とか、そんな形ばかり誰しも考えるでしょうが、それらは、まさにある意味でデモクラティックだった。大衆の支持によって成立したのです。クーデターによって権力をにぎった軍事的独裁などをファシズムと呼ぶのは、だから間違いです。ファシズムには、大衆を魅きつける何かがあった。それを忘れることのほうが危険ですね。(同書p298)

だが、そういったものの「外」も、簡単には示す事ができない。それは時としてつまらないメタ論、あるいは恐ろしく素朴な「本質主義」になってしまう。このテキストでは「貴族」でも「大衆」でもないものの名は示されていない。示されるのは「欲望」だ。それはいわば、世界が「貴族」から「大衆」に移行した時に呼び出されたものの名だ。「欲望」は、貴族の支配から脱した個人を水平に組織するものに他ならない。

ヘーゲルは、欲望とは他人の欲望だと言っています。つまり、他人に承認されたい、認知されたいという欲望です。(同書p299)

つまり、先ほど述べたリアリズムとノミナリズムという問題は、江戸時代でも、十七世紀の中ごろから明確に現れていた問題なんです。それが、朱子学というリアリズムへの批判として現れたわけです。したがって、なにも七〇年代がどうのというだけじゃない。「欲望」というというものが出てくる場所は、均質であり同質であるような社会ですね。(同書p301)

改めて僕の問題意識にひきつけていえば、文脈、またそれに対する批判が産み出す新たな文脈のくり返しは、結局「欲望」によってひたすらに「均質であり同質であるような社会」を補填してゆく。そこではどのような文言が弄されようと「他人に承認されたい」という“水平に組織化されようとする大衆”しか産み出されない。大衆とはある集団の事だけでは無い。そのような集団に「承認されたい」と思っている個人を含む。だが、そのような“大衆”など、本来問題では無い。“大衆”に回収されないような存在(の仕方)だけが問題なのだ。

広告の限界は何かといったとき、それは共同体の範囲を超えられないということ、共同体をたえず強化することである、という気が僕はします。そうでないかぎり、また広告の効果もないんですね。大衆の欲望が、いわば「無意識」が、表出されていないかぎり、効力を持たないのです。広告は基本的にデモクラティックである。しかし、そのデモクラシーというのは、ある閉じられた共同体の範囲にあると思います。

ここで「広告」と書かれているものは、様々に書き換えられる。“現代美術”でも“ブログ”でもかまわない。それは「文脈ゲームそのもの」とも書き得るかもしれない。「歴史、あるいは批評としての広告」は、ここで終わっている。例えばこの後に続けて「統制的理念」について考えることは可能かもしれない。しかし、とりあえず言えることがある。文脈などに関係なく、好き勝手にやることだ。それが、常に有効かどうかは別の話しである。が、そもそも「有効性」などという(スパンが短い)ものを放り投げていくしか「歴史」など見えてきようもないのではないか。