三の丸尚蔵館伊藤若冲の絵を見てきた。「花鳥-愛でる心、彩る技-若冲を中心に」と題された展覧会だ。宮内庁の持つ若冲の代表作「動植綵絵」30幅の修復が終わったのを期に、「動植綵絵」とその前後の花鳥画を5期に分けて展示するという企画の2期目にあたっている。1期目は見のがしたが、修復にともなう研究から若冲の技法にも迫っていて、興味深かった。併せて狩野探幽、高信、円山応挙らの作品も展示されており、貴重な機会だったと思う。


若冲の絵には独自の濃さがある。それはよく言われるように細密な描写や鮮やかな色彩、画面に「抜け」が少なく全ての部分が等価に描かれている事などから発生している。このような濃度、画面に過剰に武力を投入し、隙をほとんど作らないような「絵づくり」は、結果的に若冲の画面を沸騰させ泡立たせ、戦場を俯瞰した戦闘地図のようにしている。それが特徴的に現れていたのが「棕櫚雄鶏図」「雪中鴛鴦図」で、例えば「棕櫚雄鶏図」では、画面上部を覆う棕櫚の葉の一枚一枚、そこから降りてくる幹、画面中央から下に描かれた二羽の雄鶏の微細な羽の描写が、画面を個々の高低を持った無数の面に分割し、視線を「全体の雰囲気」に導かず個別の局面局面へと散乱させる。


棕櫚の葉を見ている時は、その重なりあいが生む手前と奥の交互の「主導権争い」が前面に出てくるし、雄鶏の羽を見ているときは博物的なまでの一本一本の羽毛の分岐を追っていきながらいつしかそれが鶏であることすら忘れてしまう。顕微鏡的な観察へと見る者を追い込みつつ、その線や面が個々に混濁せずくっきりと立ち上がっているから、絵のどの部分も強く感じる。なおかつそれらがバラバラに四散しそうになることを押さえ込むかのように色面構成や明暗のバランスが組み込まれて、全体と細部の異様に緊張した、弓の弾ける直前のようなテンションが成り立たっている。


ぼかしやにじみの少なさは、同室に展示されていた応挙の双鶴図や狩野高信の紅白桃図などと比較すれば明らかになる。「雪中鴛鴦図」に、爆撃の痕跡のように散る白の吹き付けの跡は、サム・フランシスというよりはほとんどポロックのドロップペインティングのようだ。明確に胡粉が厚味を持って盛り上がり、画面に拡散することなくエッジを切り立たせている。ここでは雪のイメージと胡粉のマテリアルとしての顕現が分裂直前まで追求されているが、修復によって明らかになったという、裏から投下された白は、薄く表面に侵食し更に作品の重層性を複雑にしている。「棕櫚雄鶏図」に戻れば、この絵には画面中央やや上に、ぽっかりと地面を示す「描き込みのない」部分があるのだが、若冲におけるこのようなフラットな面は、探幽の墨絵のような「間」を作るというよりは、その平らな部分がそれ自体硬質な質感を感じさせるような、いわば充実した余白として、強度を下げることがない。


今回の展示で最も異質なのは「菊花流水図」で、ここでは比較的薄く描かれた川を示す文様や、まるで宙に浮遊するかのような、花弁の間の隙間が大きい菊の花の軽みの中に、まるで異物のように、どろりと描かれた緑青と藍による岩の表現が見られる。この、イブ・クラインのコバルトブルーを吸わされた海綿のような描きは、苔むした岩というよりは膠に溶かされた顔料が溢れだし固着してしまったかのように見える。ウィーン分離派の絵画に見られる装飾模様にも通じるグロテスクな感触は、画面の隅々まで全てピントが合ったかのようにすべてを明晰に描いている若冲の「動植綵絵」の中で、一種の特異点のように不定形なものを沸き上がらせている。


若冲の、顔料の突出とイメージの拮抗は、100年程先行するベラスケスや、ほぼ同時代のゴヤを想起させる。ベラスケスの絵画が、やや離れたところから見れば見事なイメージを成り立たせるが、ある地点をこえて近付くと、一気にイメージがタッチに分解することは良く知られている。若冲の「動植綵絵」を前にした時も、ほとんど同じような事が知覚できる。ゴヤもことに晩年の黒い絵になると、完全にイメージが絵の具のレベルに分解する。南蛮貿易若冲の時代、すでに止められているようだが、鎖国体制化でも文物の流入は相応にあったことが太田彩氏による展覧会カタログ解説にも示されていた。ここでは中国からの影響が書かれているが、このような一種の共時性は、世界的な経済環境の展開に基礎付けられ、ある程度同時多発的に起こりうるのでは無いかと想像したくなる。


●花鳥-愛でる心、彩る技-若冲を中心に