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明確な発表の予定がない状態で制作を続けている。ここ数年、僕はなんらかの形で毎年個展の計画がある中で描き続けていた。ぶっちゃけ、大学を卒業してからしばらくの間はほとんどまともな活動をしないままダラダラと過ごしてしまったので、一度発表をしたら、その後はなんだか堰が切れてしまい、年に2回も個展をやった年すらあった。
発表の期日が決まっている中で制作する、という時、僕は、正直「作品として仕上げる」という意識を抱えて絵を描いていたと思う。大学は演劇だけで4年を丸々過ごして、卒業してからはかなりの間「不能」状態でいた僕にとって、これは相応に意味のある意識だった。不能といったって、何もしていなかったわけではなく、細々とロマネスクやルネサンス期、ビザンチン美術の絵画を版画におこしていたり(紙だけでなく石膏に刷りとっていたりした)、なんだか縁のあった(美術家、ではない)家具作家や建築家やクラフト作家達と遊んだりしていた。だけど、こういう中での生活というのは、本当にどこにも回路が接続されておらず、孤独に版画遊びをしていき、ばらばらとモノが上がっていく感じだった。
そんな状況下に、一定の緊張感、簡単にいえば「人の目に曝す」感覚を導入していくのは、それなりに有意義だった。とにかく「仕上げる」、どこかで作品にピリオドを打つという、考えてみれば恐ろしく微妙な事をするのに「締め切りがある」というのは、圧倒的に便利だ。また、なんと言っても「絵を描く」、正確には「絵を描ける」ということが嬉しかった。これまた個人的な感覚だが、1990年代というのは、到底僕には「絵を描く」ことなど不可能としか思えなかったのだ。
ただ、しばらく描く事が継続し、定期的に発表していく中で見えてきたものがある。「作品として仕上げる」と言った時、そこには「仕上がるべき作品」というものが前提されている。「絵を描いている」と言った時も同様だ。そこで前提されている「絵」とは何なのか。具体的に自分の作品を考えていった時、そこにはどこか「絵みたいな絵」の影がある。しばらく描けなかった時期を持つ者のみっともなさ、限界みたいなものが表に出ていて、それがここ1,2年ではっきりした。こんな事はちょっと前に気付きはしていて、だからこそ1度は「作品を壊す」みたいな事もやったのだけれども、結局、頭で認識することと描くことで認識するのはイコールではない。壊す、というのは、壊すべきフレームに依存している。画材を変えようが、そのフレームは揺らぎはしない。
発表の予定がない時間に、ぽろぽろと描き始めたモノが、そんな自分の枠組みを、描きの中、手の先で考えさせる要因となりつつある(気がしている)。自分が描いているものが、作品でありうるのか、絵でありうるのかは何の保証もない。しかし、この世界には、明らかに「作品」であるとしか呼びようのないものがある。そして、僕のなしている何事かも、どこかの地点で「作品」になるかもしれない(ならないかもしれない)。それは難しいことなのだけど、少なくとも「作品を仕上げる」ような、どこかで100点満点の解答を用意して、そこに自分の仕事を近付けていくかのような制作では、どうしようもない所にようやく僕の手は触ろうとしている(のかもしれない)。
このような、仮定しかできない状況で、しかしある種の確信を持ちつつ、絵ともなんともつかないモノを描いていく、というのは、なんだか独自のスリリングさがある。スリリング、と書くと何かかっこいい感じに響いてしまうけど、現実のアトリエで日々進行しつつあるのは「これは…どうなの?」というアイマイ極まりない描画と判断と、そして出来た(?)のだかなんだかわからないモノを眺めて過ぎていってしまう時間の集積で、とうてい「カッコよく」はない。それでも、この、発表の予定がない、という状況が産む新鮮さみたいなものはある。いつか書いた「作品意識を外して描く」というのも、こういう状況から導かれたものだと思う。