サッカーワールドカップの試合を、地上波放送分だけは大体見ている。今の所、見ていて本当に興奮するような試合は見つけられない。ワールドカップにおいてはまず1次リーグを勝ち残り、決勝リーグで強豪国と1発勝負をしなければならないから、実力のあるチームはコンディションを決勝リーグでピークに来るように序盤ではやや押さえ、勝つというより負けない戦いをしているからかもしれない。


イングランドパラグアイの試合が典型だが、早い段階でなんでもいいから1点を取り(この試合ではイングランドベッカムフリーキックからゴール前のパラグアイ選手のクリアミスによるオウンゴールイングランド1点先取)、それが決まればあとは露骨に守りにいくという、外聞もへったくれもないガチガチの「勝てりゃいい」という試合が目立つ。ほぼ同じ展開をしていたのがオランダ×セルビア・モンテネグロで、攻撃型をうたっていたオランダが、一点とったらあからさまに自陣でボールをまわし始め、守備型のセルビア・モンテネグロがカウンターを仕掛けたくても仕掛けられず、ただジリジリと時間だけが過ぎていって1-0で終了だった。


昨日のイラン×メキシコも、ゲームが拮抗し1-1で終えた前半は素早い展開とダイナミックな動きで面白い試合だったのだが、後半になるとスタミナに欠けたイランの隙がつかれ、2-1、さらに3-1とメキシコがたたみかけてしまえば後は緊張感が消えた。大味だったのが開幕戦のドイツ×コスタリカで、4-2とゴールラッシュの試合になったものの、ドイツは守備を考えていないイケイケのアゲアゲ攻めで、派手なだけのシュワルツネッガーの映画みたいだった。これは冒頭に書いた決勝リーグを見据えての戦略的なものでは全然なく、単に5点とられたって6点とる、みたいなバカみたいな猪突猛進サッカーで、組み合わせに恵まれた1次リーグは勝ち上がるだろうが、とうてい開催国の利を生かして優勝を狙うというチームではない。


ある意味感心したのはグループBのスェーデン×トリニダード・トバコの試合で、このトリニダード・トバコという、人口130万人の国から来たカリブの海賊みたいな非力なチームは、徹底したチェックと、一歩でも相手より早くボールに近付き敵にチャンスを与えないという、11人総ディフェンダーみたいな戦い方で、有力チームのスェーデン相手にはっきり「0-0」だけを考えて90分間組織的なプレーを持続していた。もう貧者のワラへのすがりつきみたいなサッカーで、ここまで極めればイングランドのようなあさましいチームよりよほど清清しい。


とりあえずトリニダード・トバコはよく走る。1プレー1プレーでの、ボールへのかけ出し方が早い。前線のフォワードからただちにスェーデンのボールを奪いにいき、攻めを遅らせた上で次々と相手の足下めがけてアタックをしかけ、あるいはパスコースに体をねじこみ、十分な体勢を決してとらさない状態でシュートを打たせたらキーパーのヒプロスが俊敏な動きでノーゴールで押さえる。この厳しいチェックのおかげで、後半すぐにディフェンダーのアベリー・ジョンが2枚目のイエローカードを受け退場処分となるが、このことでかえってスコアレスドローを狙うチームのコンセプトが明確になった。シュートを打てども打てども点が奪えないスェーデンは、圧倒的なボール支配率にもかかわらず、なんだかベトナム戦争の時の米軍みたいな泥沼に陥っていて、スタンドを埋め尽くすサポーターを含め、見ていて悲しくなってしまう程の疲労に沈んでいた。トリニダード・トバコの次戦はイングランドだそうだが、この調子だと三戦全てスコアレスドロー、勝点3で決勝リーグへ残ってしまうかもしれない。それはそれで立派だとは思うが、その先はないだろう。


サッカーにおいて、明確なコンセプトを持っていかに走りつづけることができるか、いかに一対一の局面で相手に負けないかが重要だと言うことはわかった。トリニダード・トバコが、みっともなかろうがなんだろうが勝ち点を獲得したのは、ボールにとにかくスェーデンより一瞬でも早く辿り着こうとするダッシュと、サイドライン際で二人以上の相手に囲まれて、絶対に奪われてしまうと分かっていても徹底して粘ってボールを渡さないしつこさを積み重ねた結果だ。それが相手を疲労させ遅延させ、次ぎのプレーでのリスクを少しでも削り、チャンスを僅かでも増やすことになる。結果的に3-1というスコアになったが、イラン×メキシコ戦の前半も、このような、一瞬でも早く走り出し、敵の動きを押さえながら同時にフィールド全体のイメージを常に持って、逆サイドにいる筈の味方にただちにパスを出す、隙があればドリブルで突破するという、ディティールにテンションのある時間帯があった。一切「待ち」のないプレーが持続できるかが、全体の流れを確定してゆく。基礎的な戦力は、個々の選手のスピード、ボールを扱う技術、スタミナというところでほとんど規定される。素早く確実に90分隙間なく走る選手が11人いるかどうかが、ほぼ試合の中身を決めてしまう。


それ以上のプレー、言ってみれば「美しい」プレーに必要なのはたぶんインスピレーション、というもので、今の所僕はそういうシーンを目撃していない。ブラジルにはそれが期待できるのだろう。日本代表はどうだろう?ポテンシャルを持っているのは中村俊介で、前回のコンフェデレーション・カップの時の中村は素晴らしかった。あのマルセイユ・ターンは、ジダン曰く「決まっていれば100点」というものだ。ただ、日本代表は、おうおうにして「待って」しまう。まず一度相手の様子を「見て」、その結果「待って」しまうから、格の上下関係なく一度は必ず相手に主導権を持たせてしまう。ここで先取点などとられた日には、親善試合なら逆転可能でも、ワールドカップだとそこで相手は完全に引いてしまい、決定力のない日本はただボールを回したまま時間が過ぎ、こらえきれず放り込んだシュートだかパスだか分からない玉を奪われカウンターを食らうだろう。


「待つ」というのは、相手がボールを持っていても寄せずに「待ち」、ボールが転がっても走り込まずに「待ち」、ボールをもっても自分で突破せずに味方が上がるのを「待ち」、ペナルティエリアに近付いてもシュートを打たずチャンスが来るのを「待って」しまう、という個々の局面の具体的な「態度」の事で、こうなってしまうと先のマルタとの練習試合のような愚鈍きわまりない試合を繰り広げてしまう。だから、まず必要なのは“素早く確実に90分隙間なく走る”という基礎的な話で、中田はそれをくり返し指摘している。ヒディング率いるオーストラリアは、コンビネーションに不安があっても大きな体で際限なく「走って」くるだろうから、ここで競り負けしないかどうかが勝負だろう。妙に客観ぶって言っているわけではない。自国代表のいないワールドカップなどなんのスリルもない。僕は日本代表に勝ち進んで欲しいと心底思っている。サッカーは恐ろしく分析的なスポーツで、そういう姿勢のないチームはけして勝ち上がれない。興奮する試合は早くて緻密だ。そんなサッカーを日本代表が見せてくれたら、本当に嬉しいだろうと思う。