うらわ美術館で「培広庵コレクション 近代の美人画」展を見に行った。事前に読んだ土屋誠一氏の「試評」での伊東深水を取り上げたtxt(参考:http://pg-web.net/off_the_gallery/tsuchiya/main.html)の影響もあった。このエントリにも、土屋氏の文章の反響があると思う。


鏑木清方の「秋の錦」は1947年に絹本着色で描かれている。縦127cm×横36cmの大きさがある。画面中央やや下に振り袖姿の女性が描かれている。、画面向かって右向きに立つが、顔は体の方向からそむけられ、向かって左下に向いている。長く垂れた2本の袖はゆるやかなカーブを描き左へそよいでいる。背後に右下から左上へ傾いて町駕篭が描かれ、その屋根に女性の左手が置かれている。また、この屋根には小菊の花束がある。女性の足下から駕篭の接地面、画面右下には針葉樹の葉、イチョウの葉などが落ちている。画面左下には3枚葉がある。駕篭の上、女性の右側に1枚、左端の駕篭の担ぎ棒上に1枚、女性の頭部の左右に1枚づつ、葉がある。画面左上に6枚、やはり葉がある。画面最上部は間となる。画面下半分の地、駕篭の周囲以下にうっすらとグレーが引かれている。


全体に、駕篭から降りて立つ女性が秋風に吹かれた瞬間を描いた絵と言える。左下へカーブする振り袖、右への進行方向からそむけられた顔、画面上部に散った葉によって、目に見えない/描かれていない“風”が表現されている。ことに、葉の描かれ方は繊細を極めている。駕篭の接地面と女性の足下には比較的密に、針葉樹の葉を中心に描き、駕篭と女性の存在によって発生した風溜りを示している。画面上半分では、まず女性の顔の周囲、右下に赤い葉・右上/左下に針葉樹の葉・左上に黄味がかりはじめた緑のイチョウの葉を配しているが、慎重にその角度が、踊るようなバリエーションをもって調整され、画面下の葉とは違う“舞っている”動きを示す。画面右上には僅かに密に6枚の葉が描かれているが、この葉のブロックは、女性の顔を取り囲む、まばらな葉と組み合わされることで(ぱらぱらマンガで、密な点とまばらな点を交互に見たような)「ぱっと散った動き」をイメージさせる。


この「秋の錦」には、ほとんど形而上的とも言える「刹那」が、絵画として定着させられている。描画のない地に配された、クリアな葉の舞いは、ぼかしがなく明瞭な輪郭を持っているから、写真のブレのような時間のズレ=経過を発生させない。同時に、駕篭によって分割された画面下半分に施された薄いグレーと、明るい上半分の対比によって、明示されることなく空間が示され、そこで成り立った「宙」に浮いた葉は、まさに動きつつある、連続した時間の流れをピタリと停止させた感覚を与える。


塗跡のない彩色、迷いのない線描が、描きに含まれる時間も消去している。それは、例えばカラバッジオに見られる、画家のアトリエに仮構された、モチーフとしてのモデルを一定時間かけて描いたという「静止した時間の持続」、油絵の具に残る筆の運びの痕跡から産まれる「ずっと続く静止」のようなもの(参考:id:eyck:20060309)とは違ったものとなる。人の手の労働を意識させない画面は、中央にやや小さく描かれた女性よりは、その周囲の余白と葉が産み出す「刹那の現れ」が主題といえる。この女性は、風に気を取られている。いわば、心理的なデッドポイントが捉えられている。意識が突風という不可避なものに奪われている、その「刹那」が窃視されている。逆の言い方をすれば、そのような場面を仮構し、「美人画」から「人」を奪って「美の画」としているのが鏑木の「秋の錦」だと思える。


ある種の美人画においては、いかに通俗的=近代的主題を、崇高な「美」というイメージにメタモルフォーゼさせるか、という工夫が様々にこらされる。例えば鏑木清方の弟子である伊東深水の「薄暮」では、注目すべきは女性よりも遥かに技術的に操作された、画面左上方の夕刻の空で、絵それ自体が発光しているようなグラデーションに観客の視線は導かれる。「薄暮」は、ボナールの「海岸」で見られるような、刻一刻と失われてゆく光=経過してゆく時間のある断面を切り出す(参考:id:eyck:200500706)ような作品としてあるが、様々な要素を点在させながら、その要素のもつ速度の差延を投入していたボナールに対して、伊東は女性というイメージを媒介物として利用している。最初に目に入る女性像はきっかけに過ぎず、この絵を見る者はそこから遅れて、夕刻の輝きに誘導される。そしてその、失われていく光の、一瞬の切り出しの中で物思いにふける女性の佇まいに再度意識が環流され、そこに「美」が成り立つ。女性像を経由して、刹那であったり、佇まいであったりという抽象的な観念を、絵画という具体的なものとして描くという複雑性において、鏑木と伊東は共通している。


他では小西長廣の「踊妓」(大正4年)で、ほとんど踊妓の顔が排除されているのが目立つ。2対の屏風に描かれた、橋を渡る踊妓は、手前となる右側屏風では二人の後ろ姿だけが描かれ、後頭部とうなじしかみえない。先となる左側屏風では、先行する一人の踊妓が、僅かに振り向いた、見えるか見えないかの横顔が描かれる。小西の作品は鏑木や伊東のものより即物的で、あくまで女性自身に主題があるが、しかしそこでは顔が隠され、少しだけ振り向いた、「美(人)のきざし」、はっきりとは掴めない、いわば想像的にのみ把握される「美への期待」が描かれている。その美は、けして現実的に直視され、完全に把握されない。というより、直視できず、把握され得ないものを「美」としている。


橋本治が賞揚する梶原緋佐子の一部の作品、例えば「唄へる女」などは、このような“美人画”への抵抗(=「美しい女性というものはあるが、女性の美しさなどというものはない」)としてあるのかもしれないとも思ったが、これは実作を見ていないのでわからない。この橋本氏の文章は、芸術新潮の2005年5月号に掲載されている。