サッカーワールドカップ、日本対クロアチアは0-0で引き分けに終わった。負けに等しい引き分けとか、ほとんど勝っていたけれど引き分けとかいう言い方が氾濫しているが、そういう表現にあまり意味はない。単に0-0の引き分けで勝ち点1をとったという事実だけを見ればいい。日本は最低限ブラジル相手に2点差以上を付けて勝たなければならなくなった。そこに向けてどう戦うかだけが問題だ。


決定的なシュートを外したフォワードの柳沢に批判が集まっているようだが、これも意味が薄い。無論、あのシーンで決めきれないフォワードはある程度批判されてもしかたがないが、それを言うならロナウドだろうがロビーニョだろうがキューエルだろうがスルナだろうが決定的なシーンを外している。彼等は比較的、その中でゴールを決める確立が高いだけだ。日本のフォワードが弱いのは織り込み済みだった筈で、要はああいうビックチャンスがあそこしか無かったことに問題が在る。個人ですべてを変えてしまうようなフォワードがいるチームは限られていて、そうでないチームは中盤からの押し上げでとにかくシュートチャンスを増やし、その中の1つを決めるしかない。この試合では、どちらかと言えばクロアチアの方が決定的なシーンを多く作っていて、しかも結局ノーゴールだったのだ。日本が無得点だったのは、ある意味必然だ。ブラジルに勝って決勝トーナメントに出るなら、シュートチャンスを増やすことを考えなければならない。


反省すべきはセンターライン付近のボール回し、あるいはそこから前線へのパスがあまり通らず、ミスが多かった事だろう。ここで奪われてしまえば、シュートを打つことすらできない。日本のパスには速度がなく、カットがしやすい。ここで簡単に相手にボールが渡ってしまうことで、上がっていた選手は何度も守備にもどらねばならず、熱いコンディションで体力を消耗し、後半は徐々に足が止まった。どうも全体に、日本はプレッシャーがかかると慌てる傾向がある。攻めているのに、クロアチアがプレスをかけてくると慌ててパスを出し、精度のわるいボールが奪われるかラインを割るか、上手く繋がってもそこでいっぱいいっぱいになってしまって結局恐さのない攻撃で終わってしまう。守備に関してはそれがもっと露骨に出る。不用意なファールで相手にフリーキックを与えてしまう。キーパーの川口はよく止めていたが、それでもオーストラリア戦、クロアチア戦と、90分間に1度はポロリとミスをする。


もしかして日本代表は緊張しすぎなのかもしれない。思い返せばオーストラリア戦での、あの妙に淡白な試合は、あがっていて体が硬直していたのかもしれない。僕は以前演劇をやっていたときに、演出家にくり返し「ボルテージをあげるな。テンションをあげろ」と言われた。一般にテンションをあげる、というと、何か体に力を込めて大声を出したり激しく動いたりする事を想像する。これはボルテージが高いだけで、テンションは低い状態なのだ。“テンション”とは、神経系がぴんと張っていて、周囲のあらゆる微細な変化も感じ取り、集中が高まっていて適切な対応がとれるコンディションを指す。テンションが高い状態では、むしろボルテージは平常時と変わらない。どちらかと言えば、体から力を抜き、柔らかい状態で、ただ周囲の状況に敏感に反応する。こうであれば、出だしの一歩が自然に早くなり、遠くで起きている危険な出来事も目に入って早めに対処ができる。逆にボルテージだけがギンギンに高まっていると、視野が狭くなり体が硬直し、突発的な事態に過剰に反応して無駄に力任せの対応をしてしまう。


民放の番組で前日本代表監督のフィリップ・トルシエが「死ぬ気でやれ」と言っていた。こういったメッセージは間違いだ。日本代表は、「死ぬ気」になる必要などない。単に相手より早くボールに辿り着き、正確にパスを出し、確実にシュートを決めればいいだけだ。「相手より早くボールに辿り着く」のに、もちろん全力疾走が必要な場面はあるに決まっている。そういう場面は、まるで「死ぬ気」みたいに見えるかもしれない。が、90分そんなことをしていたら足が止まって相手にチャンスを与えてしまう。川口はクロアチア戦後に「足がつっても走る」みたいなことを言っていたが、足のつった選手は使い物にならずリスクを増やすだけだから、ただちに交代しなければならないし、選手は「いかに足をつったりせず早くボールに辿り着くか」を考えなければいけない。相手より早くボールに辿り着くのに必要なのは、全力疾走だけでなく、適切なポジショニングとボールの読みだ。ポジショニングがよければ、極端に言えば一歩も動かなくても相手より早くボールに辿り着く。パスコースを読めればわずかな移動でボールを奪える。そして、それしかない、と言う時に、本当のトップスピードで長い距離を走り込むことができる。


こういう事を可能にするのは「ボルテージをあげるな。テンションをあげろ」というメッセージの筈だ。対クロアチア戦は、僕はオーストラリア戦よりも出来は良かったと思う。はっきりしていたのはボールへの寄せが早くなっていて、奪われそうになってもかなりの時間ねばりが効くようになっていたことだ。ゴールへの意識も出て来たように思う。加えてジーコの采配も、マシになった。後半に入れた稲本は献身的な守備をし、一度は2002年日韓ワールドカップを彷佛とさせる飛び出しも見せた。大黒の投入が相変わらず遅いが、それでもロスタイムで出すよりはましだ。これらの理由は恐らく、日本代表全体が、初戦だったオーストラリア戦よりも緊張がほぐれ、視野が広がって周囲の状況が見えるようになったからではないか。逆に決めきれなかったのは、なまじ「死ぬ気で」やったために80分過ぎから走れなくなったからだ。スタミナは長い時間かけて備蓄するもので、今日の明日に増強することはできない。だとすればますます「死ぬ気でやれ」という指示は無意味だ。ましてや相手はブラジルだ。放っておいても日本代表は肩に力が入るだろう。「ボルテージをあげるな。テンションをあげろ」というべきではないか。