ブリヂストン美術館坂本繁二郎展を見た。坂本の多数の作品の中で、ことに特異なのが1923年、フランスで描かれた「ブルターニュ」という作品だ。キャンバスに油彩で描かれている。カタログによると、縦45.9cm×横54.8cmの大きさがある。


色面が、ほとんど風景から乖離するようでありながら、しかしその直前で踏み止まっているような画面は独特の際立ちを見せる。そのような感覚の原因となっているのは向かって左下に堆積している絵の具のまだら模様だ。画面中央からやや下がった所に、赤褐色、白、明るいセルリアンブルーが水平に伸び、これが地平線のように感知できる。その水平の下、画面向かって右よりに紫がかったグレーで恰幅のいい女性の立像が描かれる。その女性を挟むように画面右辺にはやや濃い茶色、朱、オーカー系の黄色、ベージュ色などが縦に堆積し、画面中央から左には、明るい黄、白、赤、茶色のブロック状の色彩が連なる。画面下辺には極めて狭く水平の色面が表れる。


このブロックは地平線に接するところまで積み上がったところで1箇所が突然縦に立ち上り、画面向かって左上の、やや広い面積をなす濃いベージュ、褐色、ターコイズブルーの、パズルのように組み合わされた部分へと連続してゆく。地平線上向かって右側、画面中央部分は白味を帯びたセルリアンブルーが水平のタッチで置かれ、右辺に行くに従って暗い褐色を混ぜた色へと移行してゆく。全体に、地平線を上下に挟んで退く空と、前へ出る画面下部の色のブロックの合間に女性像がある風景画に見えるが、各色面は子細に見ればその位置が上手く確定できない。


作品から距離をとっても、色彩が浮遊しているような感覚は変わらない。画面右隅の斑状の部分は女性より後退しながら、地平線との位置が混ざりあっている。女性が右に寄せられることでかなり画面内で大きな比重を占めることになる左下のブロック状の色面は、もう少しで岩のようなボリュームを感じさせようとしながら、一ケ所の、縦に高く組み合わされた部分によって、まるで空に浮かんだ雲がそのまま地上に降りて来てしまったようにも、あるいは岩の一部が立ち上がって樹木のように空を覆っているかのようにも見える。


このような画面、対象を分解し、再構成しようとする「描き」が、色面相互の自立した関係を成り立たせようとしながら、しかし抽象ではない、不安定な状況に留まっている作品は、例えばセザンヌの「ローブの庭」でも見られる(参考:id:eyck:20050804)。ここで、パリ滞在に大きな影響を受けなかったと言う坂本とセザンヌの関係を論じることは難しい。両作の間には、水平線、画面下部の地面と思える部分がブロック状に分割されている点、この分割が向かって左上の空及び雲に影響し、それらが不分明になっている点などの大きな共通項がありながら、同時に「色彩の扱い」という大きな差異がある。


セザンヌ「ローブの庭」では、タッチが駆動して対象を分解しつつ再編するが、坂本においてはあくまで「色の面」が前面にあり、タッチは個々の色面の中に溶融している。しかし、渡欧にコロー以上の収穫はなかったかのような坂本の発言は少し奇異に感じる。単純に言って、コローの作品には坂本のこの時期あるいは帰国後に見られるような色彩はない。むしろ、ボナールやモディリアニといった作家の作品に、坂本と反響するような要素がある。また、戦後に描かれた「箱」や「植木鉢」のような作品からは、モランディと共通するものが感じられる。


作家の発言に作品の事実性以上の「真実」を求めるのは危険だろう。また、今回のような、一人の画家の仕事をその生涯にわたって展観するような展覧会では、どうしても時系列に沿った、リニアな「展開」として個々の作品を見てしまうことが避けられない。坂本と光の関係は、初期、ことに1907年の「大島の一部」などで、古典的な明暗による形態/空間把握として表れている。パリ行きを挟んだ中期には、明暗から色彩の並列へと光の捉え方が変化し、独自のトーンの構築が行われる。晩年には、月を対象にしながら、色彩を再び光りそのものへと還元していくような作品が表れる。こういった「流れ」は、一人の作家の生涯を考えれば当然あるものだが、しかしその中で、同時に個々の作品の、流れとは切り離された立ち上がり−「ブルターニュ」などはその立ち上がり方が特別なのだが−を見失ってはならない。独りの作家の回顧展を見るということの複雑さと困難は、このような所にある。


こういった困難を踏まえた上で、あえて全体を概観して思うのは、坂本の絵画には光り/色彩、というものと、自らの前にある対象(牛や馬や小箱や月)と、自らの操作する絵の具、といううものの、微妙で危うい関係のようなものが織り込まれているということだ。別の言い方をすれば、坂本においては、自分と世界と油絵の具がバラバラにあるような地点で、それらの関係を描くという行為で仲立ちし、つなぎ合わせるという側面があると思う。恐らくこのような作品が産まれたのは、油絵の具による西欧絵画の技法を日本で展開するということに坂本が自覚的だったからで、例えば“パリしか描けない”佐伯祐三や、厳しいコンプレックスから奇妙な貧しさを生産し続けたレオナール・フジタよりは、遥かに知性的な作家だったと言える気がする。ことに唯一の戦争画である「肉弾三勇士」は、フジタの戦争画よりは遥かに上質なものだ。ブリヂストン美術館の高い質のコレクションの基点に坂本繁二郎のような画家がいたというのも、よく理解できる。


坂本繁二郎