サッカーのワールドカップが決勝戦と3位決定戦を残すのみになった。今朝未明のフランス対ポルトガルの戦いでは、けして双方のベストパフォーマンスが見られたわけではないものの、やはりここまで勝ち上がって来たチームは1次リーグとは水準の違う動きを見せる。具体的にはスピードが違う。ここで言うスピードというのは、100mを何秒で走る、という単純な速度だけではない。判断が早く、走り出すタイミングが早く、パスが早く、トップスピードのドリブルからぴたりとボールを止めて切り返す鋭さがあり、サイドチェンジが早い。どちらも硬い守備を構築していたから、ペナルティーエリアに入ってからはどうしてももたついてしまうが、厳しいチェックの中をなんとかこじ開けようとするプレーは緊張感がある。


試合はフランスのペナルティキック1ゴールによる勝利となったが、僕はこの結果を呼んだのはポルトガルのキャプテンのフィーゴの出来の悪さにあると思う。フィーゴは重要な攻撃のシーンでパスの精度が悪く、クロスボールもターゲットを外していた。疲労の備蓄もあったのかもしれない。こうなってくると、多くの試合を連ねてきた、そのプロセスが浮かび上がる。ポルトガルイングランド戦でも延長を戦いPKでようやく勝ち上がってきた。意外なくらいワールドカップでのキャリアがないポルトガルは、どこかでここが限界、という意識があったのかもしれない。そうなってくると、スタミナというのはメンタルな面も含んで重要だということになってくる。C.ロナウドは本当に素晴らしい選手で、この人のプレーには魅了された。だが、そのC.ロナウドが、ペナリティエリア前で横にパスを出しすかない程フランスのディフェンスは硬く、そして横に流れたボールがフィーゴのプレーで相手に渡ってしまったのだ。


ポルトガルイングランド戦では、内容で言えばイングランドの方が遥かに良かった。ベッカムが足に問題を起こして交代し、ルーニーが不用意なレッドカードを受けて10人となってもイングランドは果敢な攻撃を見せた。11人いるポルトガルはその優位さをいかせず、PK戦までもつれてキーパーのリカルドの見事なセーブでようやく勝った。僕はイングランドを応援していた人に謝らなければならない。以前のエントリで、僕はイングランドをあさましいチームと書いた。しかし、決勝ラウンドに入ってのイングランドはだんだんと良いサッカーを見せ始めた。ポルトガル戦ではランパード、ジェラードが際立った動きを見せた。ベッカムが退いてからベンチで見せた涙にはぐっと来たが、ゲーム続行中にキャプテンがこのような姿を見せてしまったところに、もしかしたらイングランドというチームの弱さが現れていたのかもしれない。


もうひとつ、サポーターに謝らなければならないチームがある。ドイツだ。やたらと攻撃的で優勝を争うチームでは無い、と僕が書いた、その直後からドイツは恐るべき守備力を見せ始めた。ポーランドエクアドルと無失点、決勝リーグに上がってもスェーデン相手に完封した。アルゼンチンに1-1となってこれをPKで倒した後、イタリア相手にやはり延長まで無失点を続けて、最後は延長後半にグロッソデルピエロの連続シュートで轟沈した。負けたとはいえ、こんな中身のある勝負をするチームは他にはなかったかもしれない。ましてやこの短期間で「守備」という地道な力を手にすることのできるチームなど、ほとんど魔法みたいなものだ。そして一度守備を固めたあとのドイツの攻撃はスリリングだった。3位決定戦には、ぜひ勝って欲しいと思う。


変貌したというならフランスで、1次リーグをギリギリで突破したこのチームが、ブラジルを倒して決勝に進むと考えた人はどのくらいいたのだろう?僕はそもそも韓国が抜けると思っていたから、フランスが上がった段階でびっくりしていた。それが今やジダンを中心に快進撃を続けている。逆に、いつ本気を出すのかと待っていたらその前に敗北してしまったのがブラジルで、結局一度もそのポテンシャルを発揮することなく消えてしまった。当たり前だが、ワールドカップにおいては決勝トーナメントが「本番中の本番」で、代表チームが出ていなくても明け方4時にもそもそと起き出してテレビを見ている人は少なくないと思う。そして、日中目をこすりながら友人・知人と試合の細部を評価しあい分析しあい議論している人もいる。ぶっちゃけ、人の集まるところで聞こえてくる、若い女性や会社帰りのサラリーマンが語っている試合の批評は、なまじな美術批評より形式的に優れていることがある。


ワールドカップはナショナルなものと深く結びついている。だが、単純なナショナリズムしかそこにないような言い方は間違っている。フランスは代表選手の多くが移民の血を引いている。ジダンやアンリが活躍することで、移民排斥が強まっているフランスのナショナリティは再編を迫られる。イングランドはもちろん「イギリス」代表ではない。スコットランドウエールズ、北部アイルランドの人々はイングランドなど応援しないし、首相がイングランド代表を支持したことが国内問題になっている。アンゴラは内戦で分裂した国家の代表として出場した。ドイツの活躍で国内に(バウハウスを産んだ)ワイマール共和国時代のドイツ国旗が氾濫する一方で、ネオナチの活動はまったく刺激されていないというニュースは注目に値する。アレックスが日本代表で活躍することは、日本に現在たくさん在住しているブラジルからの労働者のあり方をポジティブにし、日本を構成しているのが「単一民族」ではないことを改めて浮かび上がらせる。


僕はイタリア旅行でバスチケットをなくした時、現地の紳士に「ジャポネ?ナカータ、ナカータ!」といわれながらチケットを譲ってもらうという経験をした。そのためだけでもないけれど、僕は日本代表が去った後もイタリア代表を応援しつづけている。こういう経験はありふれている筈だ。留学や仕事や旅行で訪れ、良い思い出を得た国の代表があれば、自国代表以外に本気で応援したくなるチームを(場合によっては複数)持つことになるという状況はどこにでもある。日韓大会の時、タレントのさんまが「日本や韓国がワールドカップで活躍するのは早すぎる」と言ったのは有名だが、本当にサッカーが好きな人には、日本代表より好きで、日本代表より活躍してほしいチームがあることの方が多い。安直な「国際交流」やコスモポリタン的態度を賞揚しているのではない。ワールドカップ=ナショナリズムという図式的な見方からは生まれない、サッカーが生み出す複雑さが、ワールドカップにも露呈しているということを言いたいだけだ。


話しが唐突なようで繋がっているのだが、ジェフのサポーターが、契約期間半ばでのオシムの代表監督就任という事態に抵抗し怒りをもっているのは当然だ。話しのスジがどうだ、ということ以上に、日常的に地域のチームを応援しているものにとっては、代表なんぞよりも「自分の町のチーム」が勝つことのほうが余程大切なのだ。ましてやそれが、協会の雲隠れのための方便として利用されるような展開なら尚更だ。ジェフのサポは怒りたいだけ怒るべきだし、オシムの気持ちとジェフユナイテッドという地域共同体の気持ちの接点が見つかるまで話し合いをすべきであって、まかり間違っても外野の人間が「日本代表のために犠牲になれ」などと言うべきではない。大体Jを軽んじる風潮が代表を弱くしているのだ。僕はごく簡単に、日本代表は契約満了までオシムを待つべきだと思う。くり返しになるが、サッカーにおける代表チームやワールドカップが浮きぼりにするのは、単純なナショナリティではないのだ。