直島行きに関して、ついでに寄る美術館を丸亀の猪熊弦一郎美術館ではなく、奈義町現代美術館に変更しようと画策した。


奈義町現代美術館


なぜこの美術館を思い出したかと言えば、ここは直島のベネッセアートサイト/地中美術館と同じく「サイトスペシフィック」な美術館だからだ。設計者磯崎新が唱えた「第三世代美術館」というコンセプトは、ルーブル以前の教会の祭壇画など基本的に特定の場所や文脈に固定されたものを集めた第一世代、ニューヨーク近代美術館などの「近代美術」=建築から分離し、商品として移動するようになったものを集めた第二世代に対し、第三世代として“ポストモダンの諸相”としての「サイトスペシフィック」な美術が現れた、それに対応する美術館を、というもので開館当時はそれなりに話題になっていたと思う。だが、いつまでたっても身の回りに行ったという人が現れない。そのうち、なんだかこの美術館は忘れられてしまった感があったし、僕自身忘れていた。


それでも一度連想を働かせれば、直島ベネッセアートサイトと奈義町現代美術館というのは「そこにいかねばならない(作品)」という大きな共通項を持ち、かつどちらも地方にある。同時に片や海(島)、片や山という対照的な場所で、他にも私立/公立、大規模/小規模、なんていう相違点もある。ここは一つ、安藤忠雄VS.磯崎新という対決構図を描いて、双方を連続して訪れてその経験の質の差を比べてやろうと狙い定めた。とにかく、風景といい文脈といい二人の建築家のネームバリューといい、なかなかのアングル*1である。移動に使うのが高松空港ではなく岡山空港になった、という事情もあって、大した苦労ではないだろうとタカをくくった。甘かった。直島/奈義町の僻地っぷりは並みではなかった。2泊3日ではキツキツの行程になる。


直島で1泊した後、翌日宮浦港発のフェリー16:02分発

本州側の宇野港に着くのが16:52。JR宇野駅を17:02分発

奈義町の手前にある津山に着くのは19:41分。ここで一泊。

翌朝津山バス停を朝9:10分発

奈義町に着くのは9:45分。


今度は帰宅を考えなければならない。岡山空港に16:00くらいにいなければならないから、逆算すると


奈義12:10発

津山バス停12:45着。津山駅発12:55分

岡山駅14:17分。ここで遅めの昼食をとって、岡山空港までのシャトルバスが14:55分発。

岡山空港着が15:25分。


直島を出るのを早くすれば、とも思うが、前日に直島に着くのが午後1時くらいということを考えると、これ以上直島滞在を短くするわけにはいかない。ただでさえ2つの美術館に沢山の屋外作品、町中の民家を利用した家プロジェクトと盛り沢山なのだ。逆に津山着をこれ以上遅くすると、恐らく夕飯にありつけない。バスは交通事情がわからないので、やはり少しは余裕を見なければならない。ことに空港に着くのがおくれるのは致命的だ。だいたいどの交通機関も本数が少なくて、少し動かすといろんな所で穴が開く。いろんな事情を考えあわせると、上記の移動スケジュールは厳格に守らねばならない。宇野港からJR宇野駅はそこそこ距離があるから、切符購入だなんだと考えると多分荷物を抱えてのダッシュダッシュ。もちろん知らない土地だから、道や目的地/目標物を見失う危険も考えなければならない。僕はただでさえ方向音痴なのだから、地図は必携だろう。イタリアに続いて方位磁石も準備した方がいいかもしれない。


これではバカンスではなく行軍である。イタリアでやった第一次絵画鑑賞遂行作戦のハードっぷりが思い出される。正直、ああいうのは美術の経験の在り方として間違っているという気分はいまだに僕の中に色濃く残っている。ここでまた、反省もなく芸術消費を(時間的/精神的にビンボーに)するというのは、いかがなものか。直島では作品だけでなく瀬戸内海の風土も味わいたいし、出来ることなら四国で讃岐うどんくらい食べてみたい。天候が怪しいから泳ぐ、というのはイマイチかもしれないが、サイクリングくらいはしておきたい。だいたい、美術作品とか美術館というのは、ふらっと赴いてふらっと“出会う”のが理想的なものだ。このやたらと戦闘的なスケジュールには、どこにも「ふらっと感」がない。


ということでこのプランは頓挫しました。評判としては既に直島の圧勝が行く前からはっきりしている。ただし、リゾートとしての評価と、美術館のコンセプト、そしてその実現という側面はまた別で、それはやっぱり訪れてみないと明言できかねるところがある。でもまぁ、どっちかと言われて、奈義は選ばないんだよなぁ。ああいう徹底してコンセプチュアルなものって、敬して遠ざけられるものなのかも。維持は大変なのだろうか?ようやく行くチャンスに恵まれた、と思ったら廃棄されてましたって事も十分あり得るだろう。

*1:プロレス用語