直島・ベネッセアートサイト(2)

地中美術館に最もフィットしていて、バランス良く見えるのはジェームズ・タレルの3作品だ。「オープン・フィールド」と題された作品は、2室に別れた空間で構成される。前室は白い部屋に大きな開口部があり、その開口部は真っ青な光りに染まっている。そこへ向かって黒い石の階段が設置されており、観客は係員の指示でその階段をのぼりながら開口部へ近付き、中に入る。開口部の先は特殊な照明(Zライトだろうか?)で青く染め挙げられている。床は先に向かってなだらかな傾斜をもって降りてゆく。突き当たった正面は均一な光を発している。その先は進むことができないよう、手前に冊が設置されており、その冊に接近しすぎると警報が鳴る。内部の部屋の角は丸くされている。また、開口部のエッジは斜に削られ前室から見た時厚みを感じないようになっている。


この開口部のエッジの処理によって、前室では開口部が青く発光する光りの平面に見える。観客は、いわば光りの中へ体ごと入りこむような感じになる。内部では、床・天井・左右の壁面は視認できるものの、正面の壁は文字通り光りそのものとなってしまい、物理的実体として知覚できない。この青い光は見れば見る程距離感が失われ、まるで目前に青の無限の空間があるように感じられる。冊から手を伸ばしても何にも触れず、やがて自分の目から侵入したコバルトの光りによって、自分の体の中まで青い光に満ちてしまいそうな感覚すら覚える。そしてその、青い光に侵されたような目で振り返ると、そこには真っ赤に染まった(白い筈の)前室が開口部から見えるのだ。


1998年に埼玉県立近代美術館で行われたジェームズ・タレル展での同様の作品は、しかしあくまで空間内部に入ることなく、輝く開口部を前室から見つめる(ここでも物質化したような光りの平面が、しかし無限の距離をもっているようにも見えた)ものだった。地中美術館の「オープン・フィールド」は、そこから更に発展して、光りを対象/客体として捕らえるのではなく、自分の身体を包み込み、自己の肉体的輪郭がその光りに侵食されてゆき、最終的には自分自身と光りの境界線が溶融するような地点にまで作品を拡張している。雲一つない青空を、地面に寝転がって凝視するとき、そこには無限の距離を持つ空と、自分自身の物理的な距離感が喪失し、まるで空の中に自分の身体が浮かび上がっていくような感覚が出現するが、タレルは、そのような感覚をよりソリッドにして普遍的に経験できるような、繊細なマシン(装置)を組み上げてみせた。


順路として「オープン・フィールド」の前に設置されている「アフラム,ペール・ブルー」は、部屋の角にプロジェクターによる六角形が映写され、その六角形の中心を走る部屋の角がエッシャー的錯覚によってへこんで見えずに、まるで宙に光の立方体が浮かんでいるように見えるが、「オープン・フィールド」は「アフラム,ペール・ブルー」のように光をモノのように見せるのでは無く、むしろ光りを知覚する主体/物質全てを光りに還元していってしまうかのように作られている。ここで「世界」はその物理性をはぎとられた「知覚」に純化され、人はほとんど全身が眼球だけになったかのようになる。ここでの光は、何かを照らし、その何かに明暗や輪郭を与えるのではなくその逆だ。かつ同時に、非現実的な光りの空間と床の傾斜によって、歩く時観客は体のバランスをある程度意識せざるをえないことから、ここで人は自らの肉体の存在を手放すことはない。同じ空間にいる第三者を見ることも含め(係員によって数名ひと組でこの空間に入れられる)、あくまで身体それ自体はそこにありながら、しかしその「事実」と、目に浸透する青の光りの非現実性が乖離する。「オープン・スカイ」のナイトプログラムが体験できなかったのは残念だ。


外光の影響のない地下にあり、かつ特定の作家の作品に個別に合わせた設計がされている地中美術館は、ほとんどタレルのために作られたかのようだ。パンフレットには、あくまでモネを中心に置いてこれを現代的に解釈するためにタレルとウォルター・デ・マリアが選ばれた、とされているが、「オープン・フィールド」の、2室の分割と作品からの“厚み”の排除、光りの徹底的に意図的なコントロールによって(光の)知覚そのものを高純度で浮かび上がらせるという構造は、ほとんどそのままモネの部屋に繋がっている。実際にはこの美術館はモネの購入から構想が始まっているとされており、モネの部屋はモネ自身の意図が反映されたオランジュリーに基づいて製作されているのだろうが、「オープン・フィールド」とモネの部屋の深い共通性は、事実経過とは異なった構図を描き始める。移動可能なキャンバスに描かれた睡蓮を、完璧な展示によって一種の純粋視角としてのインスタレーションにしたというモネの部屋については先述したが、そのことによって、そのような展示に納まり切らない余剰を再発見させているモネの部屋よりも、破綻を一切もたないタレルこそが、地中美術館の「中心」として作動しているように思う。


モネからタレル、タレルからモネ、いずれのベクトルが強いのかは見方によるかもしれないが、どちらにせよ直島の地中美術館は、単純化すれば「知覚の美術館」と言いうると思う。とにかく明らかに“間違っている”のはウォルター・デ・マリアの「タイム/タイムレス/ノータイム」で、天井から差し込む自然光によって、階段状のホールに設置された金色の列柱と花崗岩の球が様々な影を映すといっても、もっとも強く感受されるのは単純な象徴性でありいかなる意味でもモネにもタレルにも関係づけられない(というか、これが関係づけられるというならほとんどなんでもアリになってしまう)。地中美術館の言う通り、ウォルター・デ・マリアがモネへの『現代的解釈』のために召還されたというなら、いったいどのような『解釈』がこの作品によってもたらされているというのかが不明だ。


「タイム/タイムレス/ノータイム」のつまらなさの責任は、第一義的には作家本人にあるとは思うが、僕は地中美術館側にもかなりの責任があると思う。この作品は発注作品で、プランニングの段階から美術館側が介入可能だった筈だ。ぶっちゃけて言えば、計画が提案された段階、あるいはディスカッションの過程で、注文主である地中美術館がはっきり「これはつまらないからボツ」と言うべきだったと思う。出来上がりまでまったく介入不可能だったというなら、その体制自体が問題だろう。率直に言って、細部に関係なくこの作品の骨格が示された段階で、単純な「タイム/タイムレス/ノータイム」のつまらなさは想像がつくのではないか。これだけの規模のものなら、模型やCGによるシミュレーションも確認できた筈だ。そこで「タイム/タイムレス/ノータイム」の価値が判定できなかったとすれば、本当にもったいない事だと思う*1。この作品が、建築に見事に納められているタレル、そして美術館の「解釈」を更にオーバーしていくようなモネと並んでここに「永久設置」されていくというのは、どうしても違和感がある。

*1:この作品に、一体どのくらいの予算とマンパワーが消費されたのだろう?