直島・ベネッセアートサイト(6)

ベネッセハウスについて。本館はミュージアムと呼ばれ、宿泊室と美術館がほとんど分離せずにある。また別館はオーバルと呼ばれ、ミュージアムからモノレールで10分ほど登った所にある。こちらは宿泊専用施設とされている。ベネッセハウスは直島に最初にできた美術館だが、その名前に特長が出ている。すなわちここは「宿泊できる美術館」、いわば大きな家に現代美術が設置されているようなところで、ここでも住宅建築家としての安藤忠雄の本領が発揮されている。そういう意味では、ここ本来の魅力は寝泊まりしなければわからないのかもしれない(僕はここには泊まらなかった)。ここではあくまで、ミュージアムについてのみ書く。


印象的だったのは川俣正氏の、代官山ヒルサイドテラスでのインスタレーションの記録と模型が展示されていた部屋で、インスタレーションというよりはハイレッド・センターとかの「ハプニング」を思い出した。1984年というのは、川俣氏の履歴の中でも初期と言っていいのではないかと思うのだが、その基本的なメソッドは既に確立している。なんと言っても面白いのは、この「インスタレーション」が「ハプニング」と化して行く過程が記録されたメモだ。有名な商業施設に、いかにも「川俣的工事中」な木材による足場?が組まれるのだが(そして作品名はそのまま「工事中」というものだったが)、これが本当の建物の補修工事と重なってしまい、しかも当時は今程有名ではなかったらしい川俣正氏の「芸術」は、本気で工事だと受け止められたようだ。ヒルサイドテラスのテナントの客が減少して売り上げが落ち、その苦情に対応して様々な手が打たれるのだが、徐々に続行不可能に追い込まれていく。


『「工事中」は本当の工事ではありません』みたいな張り紙をしたりするのだが、なかなか理解が得られない。というか、なまじ実際の工事が平行して進められていたりしたら、誤解するなという方が無理ではないかと思うのだが、この、どこまでがマジでどこまでがボケなんだかわからない記録には、新進気鋭の作家だった川俣氏のプロジェクトがもっていたダイナミズムがよく現れていたと思う。川俣氏の作品が高名になり、一目でそれがアートだと認知されるようになって以来、こういった、川俣氏の仕事の本来もっていたいかがわしさや危うさは「現代美術」というカテゴリに回収され、衝撃力を失ってしまったような気がする。なんというか、こういうのは優れた「ハプニング」の不可避の条件なのだろう。この作家が、活動の拠点をどんどん海外に移していっているのは、もちろん国際的な評価があってのことだが、それ以外にも「自分の作品がいかがわしく見える場所」を探しているのかもしれないと想像した。


さらに連想を広げれば、横浜トリエンナーレのあり方も、「立派な芸術家」になってしまった川俣正氏が、あえて「いかがわしさ」を取り戻したかったという事だったのかもしれない。ただ、横浜トリエンナーレは「いかがわしい」のではなく「単にだらしない」になってしまっていた。それは、横浜トリエンナーレとこの川俣氏自身の初期作「工事中」を比較してみればはっきりする。「工事中」は、たとえそれが「本当の工事」に見えたとしても見えなかったとしても、どこか近付くのがためらわれるような「恐さ」「危険な感じ」が漲った、緊張感あるインスタレーションとなっている。それは記録写真からでも十分感じ取れて、槙文彦氏の建築を貫通するようなその攻撃的インパクトと、今にも瓦解しそうなはかない感じの混合は、もしこれを今自分が目前にしたら、例え「これは工事ではない」と説明されても、というか本当の工事ではないからこそ、足がすくんでしまうのではないだろうかと思わせる。


他に少し面白かったのは須田悦弘氏の「雑草」で、Rを描く美術館のコンクリートの壁の目地に沿って「草」が生えているのだが、これが木を削って作られた「模型」で、須田氏の作品をよく知らなかった僕はおもわずぎょっとしてしまった。以前人形町の食料倉庫ビルで、もう少し大形の花の「模型」が設置されていたのは目撃(この作家の作品には「目撃」という言い方がとても似合うと思う)したのだが、その表現はずっとミニマムになっていた。更に須田氏に関しては、丸亀で個展を見る機会に恵まれたのだが、とにかく恐ろしくセンスの良い人で、そのセンスの良さに特化した感じは、いささか「弱い」気もさせられた。これはけして作品が小さく、手折れてしまえそうなことだけに起因するのではない、もっと“作品としての質”に根ざすもので、例えばこの作品が「作品」として成立するのは、はっきりとした美術館、あるいはそれと準じるような、強固な「美術という制度」が確立した場所を必要とするだろう。具体的に言えば、それこそ郊外の広場や空き地において、須田氏の現状のメソッドで「作品」をなりたたせることは、ほとんど不可能な筈だ。


逆に川俣正氏の「工事中」は、たとえそれが本当の「工事」と間違われてしまったとしても、どこかにただ事ではない、本当の「工事」よりもずっとアブナイ感覚を通行人に与え、それが様々な情宣活動をしても、なんとなくテナントから人足を遠ざけてしまったことに繋がっていたように思う。ベネッセハウスや丸亀で見られた須田氏の作品に関しては、概念的にも物理的にも「美術館によりかかってる」感じはいなめない。しかし、同時にこの「ささやかな違和感」「かすかな断層」を、センシティブに走らせる手腕は、やはり「優秀な人だなぁ」と感心させられる。ことにその、作品を取り囲む空間の「間」というかリズムを刻む感覚は冴えていて、繊細な工芸的仕上がりを見せる個々の「草」の造形よりも、そういった一種の音楽的感受性の方が、この人の生来の資質を示しているのかもしれない。立体でありながら非常にグラフィカルな感触で、よくも悪くもファッショナブルな気がした。


ポロックやランシェンバーグといった作家にこんな場所で出会えるとは思っていなくて少し意外だったが、ベネッセのコレクションだったのかもしれない。正直言うとポロックなど、あまり優れた作品を集めているという感じはしなかったのだけれども、ホックニーの「木と空が映ったプール」という1978年のリトグラフは比較的良い作品だった。たぶんこの美術館のメインディッシュは、ロバート・ロンゴなどが来て残して行った「サイト・スペシフィック」な作品なのだろうが、どうもどれもピン、と来ない。やはりこういうのは、地中美術館のようにガチガチに計算してジャストフィットさせないと難しいのではないだろうか。安田侃氏の「天秘」などは、屋根のない半屋外のような所に設置されていて、その上に寝転がってみたい気がしたが、雨で作品が濡れていて、扉を開けていいのかも判断がつかなかったので諦めてしまった。


ステラのレリーフ状の作品等、なんでこれを集めたかなと思うようなものも入っているが、そういったことより、やはり大きく贅沢な“リビング”に、いろんな作品が、なんだか少しラフに、リラックスした感じで置いてある感触が楽しめるのが、この美術館の面白さだと思う。レストランの前に大きなソファがあって、宿泊者らしい人がうたたねをしていたり、なんだかダイレクトに見える宿泊室に人が出入りする様子が見えたりするところが、アメリカあたりの(やや趣味のしぼれていない)お金持ちのコレクターの家に遊びに来たような雰囲気で、しかも思いっきり「バックパッカー」みたいな人もリュックサックをフロント(美術館の「受け付け」ではなく「フロント」である)に預けて鑑賞していたりもする。瀬戸内海に向かって開いたテラスに杉本博司氏の、例のシャッターを解放して海を写した作品が展示してある所なども面白い。地中美術館に比べたら、よほど「勝手に」、しかも楽な感じで歩き回れるのが良かったと思う。