コバヤシ画廊で行われている野沢二郎展について。キャンバスに油彩で描かれた絵画が3点展示されている。いずれも鈍い深紫の層が画面の中心を占め、周辺部に一部明るいピンクの層がある。また、白の絵の具が点々と散っている。表面はどの作品も歯形のような痕跡で削られ、あるいは絵の具が盛られたような痕跡で覆われている。会場正面の1点と、向かって左手の壁面の1点は、深紫の層の部分でマチエールが1点に集中するような動きを見せ、その集中点に白いハイライトがあることで、放射状に広がるようなイメージを成立させている。向かって右の壁面の一点に関してはそのような構造は見られない。主に縦のタッチが積み重なり、茫洋とした空間を感じさせる。


野沢氏は今回、極めて大胆に(こう言ってよければ無防備なまでに)あるイメージ、画面がなにかしらの“形象”を作り上げるようなイメージを打ち出している。野沢氏の絵画においては、主に画面を覆い尽くしていくような絵の具の積み重なりが構築する、抵抗感のある深奥空間の出現がしばらくの間企てられていた(参考:id:eyck:20041012)。そのような作品においては、画面に堆積する絵の具が具体的な形態を成すことは慎重に回避されていた。会場向かって右の壁面にある作品などは、そのような製作の延長上にあると言えるだろう。しかし、会場正面、向かって左の壁面と、展覧会の主要なイメージを決定付ける場所と点数が割かれたのは、ほとんど“転向”とすら言いたくなるようなイメージの復活だ。この復活は一体どこからもたらされたのか。


復活、と書いたのは、野沢氏が具体的な形象を作品に導入していったのは何もこれが初めてのことではないからだ。僕が野沢氏の作品を初めて見たのは1990年代初頭だったが、このころ、野沢氏の絵画には、大きな円を成す帯が、やや複雑な組合わさり方で複数描かれていた。しかし、このころ描かれていた形態は、いわば具象的なモノを想起させることを拒否するために描かれたような抽象的なもので、今回のような具体性、タイトルに花の名前を書き込んでしまうようなダイレクトなイメージの復権とは明らかに乖離していた。僕が思わず転向などという刺激的な言葉を使ってしまうのは、一度タイトルを見てしまえば、もうそれが花以外の何ものにも見えないような直接的なイマジネーションの急浮上が、長らく野沢氏の組み上げる=汲み上げる、絵の具そのものへの物理的なアプローチによる「質」に魅惑されていた者にとっては、あまりにも性急に見えるからだ。


もちろん、このような変化は、ここ数年野沢氏の絵画に、何かしらの形で胎動していた。色彩が変化し(id:eyck:20050216)、ほとんど建築的ともいえた強固な絵の具が震えをみせはじめ(id:eyck:20050822)、小品においては断片的ながらイメージへの回帰が試みられていた(id:eyck:20040817)。このような変化は、野沢氏のような基本的に内在的な作家、自らの皮膚感覚だけをたよりに製作しているような作家にとって、けして簡単なことではないと想像できる。安易に、視覚的な表面の形象だけを切り替える/すなわち表面的な「化粧」や「ファッション」によって自分の見た目を変えるようなことならば、問題はただの技術であり、そのようなワザは野沢氏にとって何程のこともない。そうではなくて、自分の身体を、その内部から更新するには、長い時間による新陳代謝が必要なのであり、皮膚が1枚、また一枚と剥がれ落ちて内部から新たな肉が形成されていくしかないような、時間の経過に比して僅かな差しか現れないような「作品の移動」を持続するしかなかった筈なのだ。


そのような胎動をくり返していた野沢氏が、繭にひび入れるかのように見せた今回の展開は、花という言葉やイメージが喚起する「生」の予感の背後にある、重大な「死」の気配によって要請されていると思える。ここで垣間見える「死の気配」とは、色彩の死の気配かもしれない。もともと野沢氏は、けしてカラリストと呼ばれる作家ではないだろう。1枚の作品に多数の色が導入されるような作品は、氏の作家活動の初期や、木版画作品などに限定的に見られるにすぎない。逆を言えば、一見ストイックな色彩の扱いを見せる野沢氏は、実は意外な程豊かな色を、潜在的に内包する画家でもある。以前のアンバー系の褐色の上に鮮やかな黄色が乱舞していた作品などは、そのくり返し盛られては削られていく工程の中で、色彩が輝くような発色を獲得していた。野沢氏において色彩は重要で中核的な位置を占める。そこでの色彩は、限定的に扱われるが故に光を発するような強さを持っていたのであり、光線を反射するしかない絵画が、なにか発光しているかのように見える様は、この画家にとっての絵の具が、まさに色彩としてあることを感じさせる*1


ところが今回の作品では、その色彩が、モノクロームの直前にまで縮退している。それはまるで、鮮やかな光りを発していた夕焼けが、ほとんど夜に飲み込まれるま直前まで深まって、ほんの僅かに残された残光によってかろうじて光線の名残りを感じさせているかのようなのだ。深い紫に包まれ、ほのかなピンクを周囲に持つ画面に強いコントラストで置かれた「白」は、その徹底した無彩色性によってむしろ「色彩としての光」を殺すような在り方をしている。光の死としての夜の際(きわ)、そこにぎりぎり許された色彩がこの黒くなろうとする紫であり、それは見方によっては死ぬ人間の見る、最後の色彩のようにすら感じられる。このあまりにも濃厚な死の匂いを嗅いでしまった時、この「生」のイメージ、つまり「花」のイメージは、ほとんどぞっとするような危機感に基づいて招来されたのではないかとすら思えてくる。


ここである事実を思い出すことで、この絵はまったく反転した様相を見せ始める。今回の展示よりも遥かに鮮やかな色彩を保っていた2年前の殻々工房での展覧会は、「まだ残っている光」と題されていた。野沢氏において、光=色彩の危機は、ずっと前から訪れていたのだ。残光のような色彩という意味では、2年前の作品こそが死に瀕したものだったのであり、今回の画題では、それよりもずっと「生」の息吹きを感じさせる花が呼び戻されている。ここで「死の真際」と見えた色彩は、実は、一度死んだものが再び生まれてこようとする、「生まれる直前の光」あるいは「生まれた直後の色彩」にも見えてくるのではないだろうか。


夕方の残光ではなく、朝が明ける直前の曙光、その、夜の帳が開けていく瀬戸際の、かすかに生まれ直そうとする色彩が予感されたのが、今回の野沢二郎展での鈍い絵の具なのかもしれない。予断は許されない、といわれればそれまでだ。この後、直線的に野沢氏の作品に鮮やかな色が再帰するなどとは思えない。むしろ、色彩を「生き直す」ために、光りと闇の真際でせめぎあっていこうとする姿勢を示しているのが今回の野沢二郎展なのかもしれない。重厚なキャリアを持つ野沢二郎氏が、まるではかない新生児のように世界を見ているのかもしれないという言い方は、あまりにも推測そのものだ。しかし、野沢二郎という画家における色彩に極めて本質的なものを感じ取った経験のある者ならば、その予感はけして的外れには見えないと思う。


●野沢二郎展

*1:そういう意味では、内海聖史氏は、原理的な意味で野沢二郎の正統な弟子といえる