場所について。今までいくつかの場所で一定の年月を過ごし折々に移動してきた。どれも客観的に見れば現実的条件から居着いてしまっただけだが、なんだか導かれるように赴いていったと感じる場所が多い。


最初にそんな気分を感じたのは高校生の頃で、学力的に相応なところに大して努力もせずに適当に入っただけなのだが、この校舎の立っていた場所が荒川という大きな川の近くで、両岸には堤防が長く整備されていた。その堤防の内側には洪水時の対策のためか広大な緑地がとられており、この緑地が素晴らしく美しかったのだ。ゴルフ場や畑地にも利用されていたのだが、他はただの林や湿地帯として放置されていた。というより「必要な無駄」として利用されていたのだが、開けた河川敷は、どこか日本離れした空間だった。コローというよりはブリヂストン美術館にあるモネの洪水後の林を描いた風景に近かった。5月は芽生えて勢いよく成長途上にある若葉達が鮮やかな日光に透かされて輝き、所々にある沼が青い空を新緑越しに映して、建物など視界にない上空には鮮やかな雲が流れた。良い所に来たんだなと自覚したのは少し後の事だったかもしれない。


大学の校舎は高尾の山中にあって、関東平野終端の駅からバスで坂を登り始めた後、更に細い道に迷い込むように谷あいを行った先の行き止まりに、小さな建物がこまこまと立っていた。やはり5月以降になると、連なる峰から雪崩のように緑が溢れてきた。高校の時の河川敷とは違った濃密さが校舎をくるみこんだ。その校舎は小川を「またいで」立っていた。変な学校だった。長い時間を過ごしたクラブハウスの裏にも川はあった。あからさまに子宮内的な磁力を持った場所で(僕は当時友人に「手の中の卵みたいだ」と言っていた)、旧八王子城が陥落した際に女性達が身を投げたという小さな滝つぼで夏の涼をとったりしながら、何か来るべきところに来たという思いがした記憶がある。秋口には校舎裏でタケノコを採り(同級生がタケノコ御飯にしてくれた)、栗を拾った。駅前までおりれば甲州街道には銀杏が臭気を放っていた。霊園の多いところだった。


卒業してから借りたアトリエは廃屋寸前の平家の貸し家で、天上には雨漏りのしみがあり、窓ガラスは割れてしまったのを放置していた。銅版画用のプレス機を玄関においていたが、戸にカギなどかけたことがなかった。深夜の就寝中、頭を蹴られて起きたら友人が笑って立っていて、彼には泥棒は入ってるけど盗むものがないからそのまま帰ってるんだと言われた。なるほどと感心していたら、ある日プロパンガスのボンベが丸ごと盗まれていた。帰宅したら中学の後輩達が勝手に上がり込んでいたりもした。なんだか秘密基地がわりにしてるかのようだった。東西に走る小さな川に遮られて南になかなか抜けることができず、外部から入ろうと思えば迂回しなければならない。細かい路地の所々には墓地がひっそりあるような地域で、どこか歴史的な由縁を感じさせた。点在する林を抜けると霊園があった。そんな所になんの苦もなくあしかけ7年くらい住み着いた。


結婚して住んだのがふたたび荒川の側だった。ただし都内で、流域に平行して高速道路が走り、駅からおりると高架とそれを支える巨大な柱、そして頑丈な堤防によって空が四角く切り取られどこか映画的なショットに見えた。堤防の内側は、流石に上流の埼玉のような放置のされ方はしていなかったが、その代わりずうっと幅が広がった川は大量の水をゆっくり運んでいた。住宅に庭地を残す余裕のない場所だったが住民達は工夫していて、思いきり寅さん的ムードの濃くなりつつある(柴又は電車に乗ればすぐだ)下町の路地には平気でプランターやら鉢植えなどが大らかにはみだしていた。なにしろ公道に物干竿を置いて下着をズラリとぶら下げているような所だ。もともとが町工場の集まっていた場所で、後から住宅が侵食してきたにも関わらず染色や金属加工を行う会社が肩身を狭そうにして操業を続けていた。驚く程多くの外国からの労働者がいて、スーパーで片言の日本語で質問されたときは慌てた。電車に乗ればすぐに鉄橋を渡る。せせこましい道あいに住まいながら日々見る荒川はやっぱりドラマティックだったと思う。


父が倒れて引っ越してきたのが今の住所で、荒川はないものの小さな綾瀬川が東にある。その堤防でもない低い土手から我々のアパートまでは大家が持つ畑で、季節の変わり目に梨の花が咲いたり肥料の臭いがしたりする。結論から言えば何のことはない文字通りの河原者、という言葉は大袈裟だが安い土地を渡り歩いていただけの事で、いわゆる山の手には縁もゆかりもなかった。思えば生まれた実家も裏手に川があり、田畑のまん中に立っていた。すっかり宅地になった今では思い出すのも苦労だが、相応の家に生まれ相応の暮らしをしてきただけのことで、嫌だと思った事が無い。


変な言い方だが地勢の履歴に関しては性に合った幸福を味わってきたと思う。今考えているのはまた新たに住まう場所を探すとして、どんな地形にのっかっていこうか?という事だ。むろん経済条件は変化ないのだからたいした選択肢があるはずもないが、今まで自分が流れて来た土地土地の記憶は肯定的なので似た所を探すべきなのか。いやいや、それは道すがらにとっておいて(例えば駅までに橋を渡る土地とか)、寝たり食べたりする所はそこから距離を置くか。