東京国立博物館で「仏像 一木にこめられた祈り」展を見た。仏像というのは、個々に出来がいいものであれ悪いものであれ、たんなる工芸品として見ることも、近代的な彫刻という概念の延長で見る事も難しい。光にしても何にしても、本来在るべき場所で、あるべき姿で見られるように出来ている筈で、博物館でずらりと並べられてしまうと、それぞれの像が由来としてもっていた歴史的神話が剥ぎ取られて、オブジェクトとして丸裸にさせられてしまう。つまり霊性は消えてしまってあからさまな「造形物」として不特定の視線にさらされる。が、それでも僕のような信仰のない者にすら、どことなく「木を刻んだだけのもの」とは言い切れない所が感じられるような気がした。


信仰がないと書いたが、ぼくは日本で育ったのだし、子供の頃からおりにふれてお寺に行ったりそこで仏像を拝んだりするという機会はあった。歩いて通った小中学校までの通学路には所々に馬頭観音やお地蔵さんがいたし(友人は社会科研究で近所の馬頭観音を題材にしていた)、地元の寺社で遊んだりした(盆踊りが開催されていたのがお寺の境内だった。お墓で肝試しをした。無縁仏の納骨堂を覗くとガイコツが山になってる、といった噂があった)。そういったものは意識的な部分とは別個に染込んではいるだろう。例えばヨーロッパでキリスト像を見ても、日本で仏像を見るような「地続き」な気分にはならない。自分のどこかに「仏像を見る心地」というものが既にしっかりあって、それを切り離して像単体を見ることはできない。


そのような事と平行して感じるのが、インドで発生し中国・朝鮮半島を経て日本に入って来た「仏像」は、やはり日本という場所にフィットするように作られていくのだなぁ、ということだ。同じ仏像でも、中国で作られたものや大陸から来た仏師の刻んだものだと、その造形のどこかに金属的なハードさをもち、厳しく親和的気分を断ち切るような抵抗感が感じられるのだが、国内のものだと、角がとれて漠然と柔和になり、ふと「仏様だ」といいたくなる感情の連続性が保たれる。そういうものはどんなに「良くできて」いても親し気な気分になるし、逆に大陸的なものには、仏像であっても初めて見るような新鮮さを覚える。


第一室には7世紀に唐で作られ輸入された像と、それを規範にして日本で作られたものがあるのだが、像の表情がインド-ギリシャ的な中国の像は、その表情と噛み合うようにディティールにキレがある。日本のものだってそんなに悪くないのだが、やはり甘さがあるのは理解できる。時代が下ってもこの差はしばらくあるのだけど、9世紀くらいから、この「甘さ」が、いつしか技術的な洗練に裏付けられた「優しさ」みたいなところに繋がっていって、こうなってくると独自の在り方として見えてくる。たぶんこれは国家というものの形成とパラレルで、文化的に大陸の強烈な影響下にあった諸島の群れが「国」として独立して意識され得たのが9世紀に入ってからなのかもしれない。


素晴らしいな、と思える像が集中しているのがこの頃で、東大寺弥勒仏座像とか、向源寺の十一面観音菩薩像は、厳しさと柔らかさが混在して独特な表情(顔の表情ではなく、像全体の表情だ)を発している。興味深かったのが地蔵像3体の展示で、法隆寺、橘寺、融念寺の地蔵菩薩立像は、「お地蔵さんでこんな立派な像があるのか」とびっくりするくらい精度が高いものなのだが、融念寺のものだけ明らかに感触が違う。表情、というよりは頭部のマッスというかボリューム、フォルムが異国的、というよりは別の星のものなんではないかと思うくらいに不思議きわまりない存在だった。展覧会中、完成度という意味ではだいたいこの頃のものに頂点があるだろう。


10世紀にいきなりこういった完成度とは違う、ノミ跡を意図的に残した像が出て来るのは、もしかするとダビッドやアングルみたいな新古典主義の画家の後にクールベみたいな粗いタッチの画家が出て来るのと共通した何かの現れなのだろうか。いわば、表面を滑らかに均して素材の痕跡を消しイメージのみを立ち上げていくような製作に対して、物質の存在を露にしてゆくようなあり方を見せるというのは面白い。今回は出ていない、鎌倉中期の仏像彫刻の傑作とかは、あきらかにこう言ったステップを踏んでいるのだろうから、今回この時期の物が見られたのは良かったと思う。あと一つ、楽しみにしていたのが西往寺の宝誌和尚立像で、顔が割れて中から菩薩の顔が出てくるという異形の像を知ったのは、ちくま学芸文庫のバルトの「表象の帝国」の表紙写真だったのだが、ミーハーな気分全開で対面した宝誌和尚像は、確かに顔にはインパクトがあるものの、像全体としては少し単調な気がして拍子抜けした。まぁ、メディアによるトリミングというのはこんなもので、これはこちらの姿勢が悪かったのだろう。西往寺で拝観するとどんな感じなのだろう?


円空仏というのは昔から興味がなかった。埼玉にもいくつかあって、ありがたみを感じなかったのだろうか(そんなことを言ったら日本中、とは言わないまでもかなり広い範囲にあるみたいだが)。上記の西洋絵画史とのアナロジーを続ければ、円空や木喰というのはフォーブやナビ派に相当するのかもしれないが、まぁそこまで言うのは危険だろう。いわば抽象的な「世界的祈り」に向けられていた「仏」のイメージと違って、地上の個別の小さな祈りに基づいて彫られ各地に散乱しているのが円空仏で、そういう意味では「ポストモダン」なあり方だと言ったほうが近いのかもしれない。どれもほとんどトーテムポールみたいな感触にまで落ち込んでいて、そもそも仏教というのは極めて高度な哲学なわけだが、ここではそういった側面はほぼ取捨され土俗的アミニズムとしてのみ扱われている。江戸時代という、大衆文化が発達し豊かになったところで表れた反動を、現代的だなぁと言うのはもっと危険だろうか。


●仏像 一木にこめられた祈り